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「むなしさ」を繰り返さないために



 前期・中期旧石器遺跡捏造事件に関連して、「アークネット・イベントニュース」No.134(2001/10/19)冒頭で日本考古学協会盛岡大会における戸沢報告に触れたアークネット事務局・鬼塚氏のコメントは、以下のように結ばれていました。

 …考古学とはそもそもそんなにむなしい学問なのでしょうか。事件発覚後、一年を経た現在の私の感想は、ただ「むなしい」という一言に尽きます。みなさんはいかがでしょうか。

 今、この問題を「むなしい」などという感情的な言葉で済ませてしまうべきではありません。今回のことは考古学がそれ自体の学問的未成熟さを露呈したのであり、考古学界が一丸となって早急に取り組むべき課題と考えなくてはなりません。
 「捏造の有無」を前提とせずとも、科学にとって必要不可欠な「第三者による検証」が考古学においても十分に機能していたならば、ここまで深刻な事態は回避できたはずであり、多くの考古学徒や全国の歴史好きの子供たちが「むなしい」思いを味わうこともなかったかもしれません。
 それは、「相互批判が欠けていた」というような研究者間の個人対個人の視点とも異なります。研究批判を個人批判と誤解されることを心配せずとも、考古学自体にある種のチェック機能を標準装備することが可能だったはずなのです。事実、自然科学の分野ではそのような機構が備わっており、ごく普通のこととして機能しているといいます。
 そして、そのような作業はある学問を進める上でのごく当然のプロセスとして考えるべきであり、その作業自体決して「むなしい」ことではありません。むしろ私は捏造事件発覚以後の考古学界の雰囲気そのものに「むなしさ」と感じざるを得ないのです。「石器の見方、旧石器研究の方法に誤りがあった」と主張する研究者もあります。決してその論点を否定するものではありませんが、それ以前に考古学界全体として早急に取り組むべき問題がここに存在しているのです。
 今回のことについてできうる限りの手を尽くして全体像を明らかにし、学問としての考古学に何が足りなかったのかをきちんと認識する作業がまず必要です。大方の考古学徒がそうした作業を「むなしい」もしくは自分には関係のないこととして避けて通るならば、私たちはこの「むなしい」思いをいつか再び味わうような気がしてならないのです。


2001.10.23 管理人