宮城考古学情報みやぎ遺跡発掘2001>嘉倉貝塚

築館町嘉倉貝塚確認調査
現地説明会:2001.11.17  調査主体:宮城県教育委員会
 
 嘉倉貝塚は伊豆沼の北西にある東西に長い台地上に立地する縄紋時代前期から弥生時代にかけての遺跡で、縄紋時代後期〜晩期に貝塚が形成された。貝塚の存在は大正時代から知られ、現在も台地西側の崖面にカラス貝を主とする淡水産の貝層が観察される。
 高規格道路建設に伴って実施された1999・2000年度の発掘調査で、縄紋時代前期後半〜中期初頭(約5000年前)の縦穴建物跡80軒以上、掘立柱建物跡30棟以上が発見され、嘉倉貝塚がこの時期の伊豆沼周辺地域における拠点的な大集落であったことが明らかとなった。また、遺構の分布状況から各施設が計画的に配置されていること、大型の縦穴建物跡や掘立柱建物跡が弧状の分布を形成していることなどが確認されていた。
 今回は、遺跡の重要性から集落全体の使われ方や、集落構成の把握を目的に宮城県教育委員会が確認調査を実施した。

大型縦穴建物跡の確認状況(写真左側はE区を北側から、右側は南側から)。建物が同心円状に配置されている状況がわかる。

縄紋時代晩期後葉(約2500年前)の土壙墓群。主に黒く変色している部分が土壙のプラン。多数の土壙が密集している状況がわかる。

土壙墓群のうち1基(左写真の左側で完掘している土壙)の人骨の出土状況(宮城県教育委員会2001より引用)。成人の人骨とみられ、右胸付近にシカの肩甲骨が置かれていた。

出土した石器類。写真左から箆状石器、石鏃、石匙、尖頭器、磨製石斧、敲石。

出土した縄紋土器と土偶。縦穴建物跡や掘立柱建物跡が一般集落にはみられない大規模なものであるのに対して、出土する遺物は一般集落と変わらず、出土量もそれほど多くない。

調査区の配置と遺構の分布状況(拡大画像)。縦穴建物跡が放射状に配置されているのがわかる。同様の環状集落の調査例から、未調査の中央部分は広場のような使われ方をしていた可能性が高い(宮城県教育委員会2001より引用)。

写真左は調査区の配置と予想される環状集落のプラン(拡大画像)。南西斜面に貝層の一部が露出している。写真左はC区西側の土壙墓群の遺構配置図(拡大画像)。40基を超える土壙が密集している(いずれも宮城県教育委員会2001より引用)。

 
まとめ
  • 大型縦穴建物跡が多数確認され、2000年度までの調査で明らかになっていた縄紋時代前期前半〜中期初頭の集落は、直径約80mの環状集落の一部で、中央に向かって縦穴建物跡や掘立柱建物跡が概ね放射状に配置されていたことがわかった。
  • 環状配置の外側にあたる部分でもやはり放射状に配置された建物跡が見つかっており、さらに外側にも集落域が広がっている可能性がある。
  • 遺跡南西部で縄紋時代晩期後葉の土壙墓40基以上が確認され、墓域が形成されていることがわかった。
参考文献
宮城県教育委員会2001「嘉倉貝塚現地説明会資料」