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郡山遺跡第138次(郡山5丁目地区)発掘調査
現地説明会:2001.11.17  調査主体:仙台市教育委員会
 
 郡山遺跡は、古代陸奥国府多賀城より古い官衙(役所)遺跡として注目され、仙台市教育委員会が昭和54年から調査を継続している。これまでの調査により、約1300年前(飛鳥〜奈良時代)に大規模な官衙が2回(I期・II期)にわたって造られていることや、講堂・金堂・塔など東北地方では最古の伽藍配置を持つ寺院(郡山廃寺)の存在が明らかにされてきた。
 第138次調査(学術調査・国庫補助事業)は、方四町II期官衙周辺の様相を明らかにするために行なわれた。調査区はII期官衙外郭南辺に隣接する位置で、調査区北東角から北東に約30mの地点に外郭南門がある。

調査区全景(南から)。調査区奥に並ぶ民家の軒先をII期官衙の南辺区画施設の大溝が通っている。その南側約50mの調査区内


II期官衙外郭南辺と平行して東西に延びる大溝跡とその土層断面(東から)。溝跡は上幅約3m、底面幅約1.7m、深さ約1.2m。溝跡埋土上層の中央部に堆積している灰白色の部分は十和田a火山灰(To-a)。To-aは「抹桑略記」にみられる「延喜15年(915年)出羽の国言上雨灰高二寸云々」の記事に相当するテフラ噴火と考えられている(町田1996)。

調査区南側で確認された2棟の掘立柱建物跡(東から)。いずれも廂(ひさし)がついており、官衙中心部に配置される建物と同等の規模と構造を持っている。柱穴には柱材が残存するものが認められた。

第138次調査区の位置と遺構配置図(仙台市教育委員会2001より引用)。

まとめ
  • 多賀城以前の古代陸奥国府と考えられるII期官衙で、東・西面に廂を持つ東西10.8m、南北21.2mの建物跡と、北・西・南面に廂を持つ東西8.8m、南北19.7mの建物跡が発見された。いずれも官衙中枢の建物跡と同等の規模と構造を備えている。
  • 建物跡の北側で東西に延びる上幅約3m、底面幅約1.7m、深さ約1.2mの大溝跡が発見された。これにつながるとみられる溝跡はこれまでの調査でも確認されていたが、約50m北側の官衙本体の外郭南辺の大溝と平行して延びることが明らかとなった。
  • これまでの南方官衙地区の調査とあわせ、II期官衙の南側にも広範囲に官衙域が形成されていたことが明らかとなった。また、II期官衙外郭南辺の大溝と今回発見された大溝との間の幅約50mの広場状の空間は694年に完成した藤原京の構造と類似している。
  • II期官衙に先行するI期官衙の東辺を区画した材木塀跡と溝跡を約80mにわたって確認した。材木塀跡には小規模な門跡が取り付いている。
参考文献
仙台市教育委員会2001「郡山遺跡・長町駅東遺跡現地説明会資料」
町田洋1996「八甲田田代平湿原にみられる白頭山苫小牧テフラと十和田aテフラ」
 第四紀露頭集‐日本のテフラ 日本第四紀学会