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おわりに

縄紋時代前期後半から中期初頭(約5500-5000年前)頃の嘉倉貝塚では、大型住居と掘立柱建物を含む大規模な集落が営まれていた。
この頃の大型住居を含む集落跡は、東日本一円で30遺跡60例ほどが見つかっており、その多くは多数の貯蔵穴を伴っているという。
秋に収穫した木の実を貯蔵穴に保管し、大型住居の炉を使って長期保存できるような加工作業をしていたのかもしれない。
嘉倉貝塚の縄文人は、蓄えられた木の実などを重要な食料として、大型住居で共同生活を送っていたのだろうか。
遠く5000年以上前、豊かな自然環境に恵まれた伊豆沼のほとりで営まれた、縄文人の暮らしぶりが見えてきた。