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嘉倉貝塚は縄紋時代後半から晩期にかけての貝塚として大正時代から知られている。昭和30年代後半から40年代前半にかけての河川堤防工事や開田工事により貝塚のある遺跡の南西部が破壊されてしまったという。今回の道路建設に先立つ確認調査で、遺跡の範囲が東西に走る県道南側の丘陵に限定されることが分かった。