MIYAGI ARCHAEOLOGY INFORMATION Vol.27 2002.7.20



築館町 嘉倉(かくら)貝塚(現地説明会:2001.12.08)

 嘉倉貝塚は伊豆沼北西の東西に長い台地上に立地する縄文時代前期から弥生時代にかけての遺跡で、縄文時代後期〜晩期に貝塚が形成された。貝塚の存在は大正時代から知られ、現在も台地西側の崖面にカラス貝を主とする淡水産の貝層が観察される。
 高規格道路建設に伴って実施された1999・2000年度の発掘調査で、縄文時代前期後半〜中期初頭(約5000年前)の竪穴建物跡80軒以上、掘立柱建物跡30棟以上が発見され、嘉倉貝塚がこの時期の伊豆沼周辺地域における拠点的な大集落であったことが明らかとなった。また、遺構の分布状況から各施設が計画的に配置されていること、大型の竪穴建物跡や掘立柱建物跡が弧状の分布を形成していることなどが確認されていた。
 今回は、遺跡の重要性から集落全体の使われ方や、集落構成の把握を目的に宮城県教育委員会が確認調査を実施した。この結果、大型竪穴建物跡が多数確認され、2000年度までの調査で明らかになっていた縄文時代前期前半〜中期初頭の集落は、直径約80mの環状集落の一部で、中央に向かって竪穴建物跡や掘立柱建物跡が概ね放射状に配置されていたことがわかった。環状配置の外側にあたる部分でもやはり放射状に配置された建物跡が見つかっており、さらに外側にも集落域が広がっている可能性があるという。また、遺跡南西部で縄文時代晩期後葉の土壙墓40基以上が確認され、このうち1基から頭部を北に向け、両足を折り曲げた状態で埋葬された成人の骨と、遺体の右胸付近でシカの肩甲骨が出土した。