MIYAGI ARCHAEOLOGY INFORMATION Vol.27 2002.7.20



古川市 名生館官衙(みょうだてかんが)遺跡(現地説明会:2001.08.25)

 名生館官衙遺跡は大崎地方西部を治めた古代の役所跡と考えられている。発掘調査は昭和55年度から継続されており、これまでの調査で瓦葺の建物跡や門跡などが発掘され、4時期にわたる政庁の変遷が確かめられている。中世には奥州探題大崎氏の名生城が築かれ、現在も土塁や堀跡の形状が水田や畑の区画として遺存している。
 城内地区南東部における官衙期の遺構の広がりと性格を把握することを目的に古川市教育委員会が実施した発掘調査(第23次)で、古墳1基、掘立柱建物跡6棟、竪穴建物跡22軒、溝跡3条、土壙5基などの遺構が検出された。調査区内では古墳時代の竪穴建物跡を壊して古墳が築造され、さらにそれを壊して溝跡と櫓状の建物が建てられている状況が確認された。古墳時代の竪穴建物跡内では土師器や湯の倉産黒曜石が多量に出土した。古墳は周溝と主体部が検出され、割竹形木棺を直葬したとみられる。築造年代は遺物や遺構の切り合い関係などから6世紀後半頃と推定される。
 溝跡に取り付く建物跡は櫓状の建物跡と推定され、西に73mの地点で検出されているものと類似している。建物跡には3時期の変遷がみられ、出土遺物から8世紀後半〜世紀前半の名生館官衙第IV期に属するとみられる。溝跡は第IV期政庁の重要な区画施設であった可能性が高い。