旧石器捏造問題と発掘調査にいたる経緯

 2000年11月に発覚した「旧石器捏造問題」に関する関係機関や日本考古学協会による検証作業が、着々と進んでいることは周知のとおりである。2001年秋の盛岡における日本考古学協会2001年度大会において、戸沢充則特別委員会委員長から藤村新一氏との面談によって得られた情報が明らかにされたが、そのなかに座散乱木遺跡の第3次発掘調査において、その13層及び15層において捏造をしてしまったとの内容が含まれていたことも周知のとおりである。
 この盛岡大会報告の後、日本考古学協会ならびにその特別委員会は、その活動経過及び活動内容、検証の到達点について文化庁にも報告し、今後の検証活動への積極的な支援を要請した。この会談において、日本考古学協会ならびに特別委員会は、捏造疑惑が、この時代の研究の重要な出発点でもあり、国史跡に指定されている座散乱木遺跡にまで及んでいることから、再発掘調査を実施して学術的な検証をする必要がある、との認識を示した。文化庁は、日本考古学協会が中心となって再発掘調査を進める方向で検討するのであれば、この学会の意向を踏まえ、発掘調査に関わる環境の整備と資金の補助について協力する旨の意向を示された。会長及び特別委員会委員長はこれを受けて、機関決定ができれば、日本考古学協会を中心とした再発掘調査を実施することを約した。
 2001年11月、日本考古学協会は、この問題を委員会に付議し、委員会の賛成が得られたので、具体的な調査内容や体制の整備をするべく検討を開始するとともに、特別委員会委員を中心とする科学研究費補助金の申請作業に着手した。同時に、文化庁、宮城県教育委員会、岩出山町教育委員会等との協議に入り、2002年4月はじめまでの期間を要して、再発掘調査の実施についての調整と基本的な合意に至ったものである。
 11月に申請した文部科学省科学研究費補助金(特別研究促進費 研究(1))「前・中期旧石器時代の遺跡の重要性の評価方法等についての調査研究」は、2001年12月に、この座散乱木遺跡の再発掘調査を中心とした調査研究として、その交付が決定された。
しかしながら、日本考古学協会としても、何よりもまずこうした再発掘調査が必要であることへの理解と協力を、地元の方々からいただくことがきわめて重要であり、また必要であると考えた。町当局からも同様な要請を受けたことから、再発掘調査を実施するにあたり、これまで特別委員会が行ってきた座散乱木遺跡の出土資料に関する検証の中間報告を行って、再発掘調査についての岩出山町当局、ならびにその住民の方々の理解と協力をいただくために、2002年4月18日に、岩出山町生涯学習センターにおいて、文化庁、宮城県教育委員会、岩出山町当局とともに説明会を実施した。
 この説明会において、町民の皆様と町当局からは、座散乱木遺跡の再発掘調査を実施して、事柄の真相を明らかにするよう求められ、この発掘調査の実施についての支援と協力をいただけることとなった。
 これを受けて、日本考古学協会特別委員会は、かねてより関係機関とも協議し、検討してきた調査の体制、計画、内容の概要を示し、町民の皆様をはじめ、関係機関等の協力をお願いした。
 この結果、2002年4月26日より、約8週間の予定で、座散乱木遺跡の発掘調査を実施することが、関係諸機関等の間で最終的に決定され、翌4月19日に、早速、調査団会議を開き、調査計画、調査内容、調査方法等を検討し、これを4月20日に調査委員会に諮って、最終的な発掘調査計画全体を確定したものである。