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多賀城創建期の瓦の出土を確認
所在地 遺跡名 現説日 調査主体 更新日
桃生郡鳴瀬町 亀岡遺跡 09/20 宮城県多賀城跡調査研究所 12/15
資料:宮城県多賀城跡調査研究所2002「亀岡遺跡現地説明会資料」
 亀岡遺跡は、昭和11年に東北大学の内藤政恒氏と伊藤信雄氏による試掘調査などで多賀城創建期(奈良時代前半)の瓦が多量に出土し、古代陸奥国府・多賀城と密接に関連する古代官衙(役所)か寺院の跡と考えられてきた。
 今回は遺跡の広がりと性格解明を目的に5か所の調査区を発掘した結果、遺跡中央部北側の丘陵裾部で古代の瓦が集中して出土した。出土した瓦には、多賀城創建期のごく短期間に用いられた「格子叩き」と呼ばれる技法がみられるという。しかし、瓦の出土は丘陵裾部に限られ、その他の調査区でも官衙や寺院跡の存在を裏付ける遺構は確認されなかった。また、当時の海岸線が丘陵裾部にかなり近い位置に迫っていたことなどから、遺跡の中心施設が瓦が出土した地点の上部にあたる丘陵上の平坦面に立地していた可能性も出てきたと言えそうだ。

現地説明会風景

中・近世の墓が出土した遺跡中央部西側の調査区(南から)。

中・近世の墓や中世から近代にかけての貝層が見つかった遺跡中央部の調査区(西から)。

遺跡中央部の調査区で見つかった中・近世の土壙墓

遺跡中央部北側の調査区(南から)。
写真奥の丘陵裾部に近い部分で瓦が出土した。

瓦が出土した付近の地層の堆積状況(南東から)。
白く見える十和田a火山灰層(西暦915年か)の下層で瓦が出土した。

瓦が出土した地点の30mほど南側の調査区で確認された海岸線(西から)。

出土した丸瓦(左)と平瓦。奈良時代前半の多賀城創建期に特有の「格子叩き」と呼ばれる技法がみられる。

十和田a火山灰(To-a)
 十和田a火山灰(To-a)は東北地方を広く覆うテフラ(火山噴出物)で灰白色火山灰とも呼ばれる。平安時代の地層にみられ、東北地方の遺跡間での編年研究に大きな役割を果たしてきた。仙台市の陸奥国分寺では870年と930年とみられる遺物包含層の中間にTo-aが介在し(白鳥1980)、To-aに伴う火砕流堆積物で埋没した鷹巣町胡桃館遺跡の家屋木材の年輪年代が>903ADと測定されている(奈良文化財研究所1990)。こうしたことから、To-aを噴出した十和田湖の噴火は、「抹桑略記」にみられる「延喜15年(915年)出羽の国言上雨灰高二寸云々」の記事に相当すると考えられている(町田1996)。
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白鳥良一1980「多賀城跡出土土器の変遷」研究紀要VII 宮城県多賀城跡調査研究所 p.31-32
奈良国立文化財研究所1990「年輪に歴史を読む‐日本における古年輪学の成立」 p.195
町田洋1996「八甲田田代平湿原にみられる白頭山苫小牧テフラと十和田aテフラ」第四紀露頭集‐日本のテフラ 日本第四紀学会 p.5
町田洋1996「秋田県大湯における毛馬内火砕流と十和田aテフラ‐八郎太郎伝説が示唆する十和田湖噴火災害‐」第 四紀露頭集‐日本のテフラ 日本第四紀学会 p.151