MIYAGI ARCHAEOLOGY INFORMATION Vol.27 2002.7.20



仙台市太白区 郡山(こおりやま)遺跡2丁目・5丁目地区(現地説明会:2001.11.17)

 郡山遺跡は、古代陸奥国府多賀城より古い官衙(役所)遺跡として注目され、仙台市教育委員会が昭和54年から調査を継続している。これまでに、約1300年前(飛鳥〜奈良時代)に大規模な官衙が2回(I期・II期)にわたって造られていることや、講堂・金堂・塔など東北地方では最古の伽藍配置を持つ寺院(郡山廃寺)の存在が明らかにされてきた。
 5丁目地区の調査は国庫補助事業による学術調査(第138次)で、方四町II期官衙周辺の様相を明らかにするために行なわれた。調査区はII期官衙外郭南辺に隣接する位置で、調査区北東角から北東に約30mの地点に外郭南門がある。
 調査の結果、II期官衙で、東・西面に廂を持つ東西10.8m、南北21.2mの建物跡と、北・西・南面に廂を持つ東西8.8m、南北19.7mの建物跡が発見された。いずれも官衙中枢の建物跡と同等の規模と構造を備えている。これらの建物跡の北側で東西に延びる上幅約3m、底面幅約1.7m、深さ約1.2mの大溝跡が発見された。これにつながるとみられる溝跡はこれまでの調査でも確認されていたが、約50m北側の官衙本体の外郭南辺を区画する大溝と平行して延びていることが明らかとなった。これまでの南方官衙地区の調査とあわせ、II期官衙の南側にも広範囲に官衙域が形成されていたことになる。II期官衙外郭南辺の大溝と今回発見された大溝との間の幅約50mの広場状の空間は694年に完成した藤原京の構造と類似しているという。また、II期官衙に先行するI期官衙の東辺を区画した材木塀跡と溝跡を約80mにわたって確認した。
 2丁目地区の調査は長町副都心土地区画整理事業に伴うもので、郡山遺跡I期官衙西辺の推定ライン西側の隣接地で行なわれた。この結果、残存幅は3〜4m、深さ50cmの大溝跡がL字形に検出された。大溝跡の南北方向部分は、郡山遺跡I期官衙西辺の推定ラインとほぼ平行であることから、役所跡に関連する溝跡か、あるいは役所跡周辺の土地割りに伴うものである可能性がある。 地表下約2mで縄文時代晩期の土器・石器類が検出された。