MIYAGI ARCHAEOLOGY INFORMATION Vol.27 2002.7.20



仙台市宮城野区 中野高柳(なかのたかやなぎ)遺跡(現地説明会:2001.07.07)

 中野高柳遺跡は海岸線から約4km、七北田川に並行して延びる自然堤防上に立地する。仙台港背後地土地区画整理事業に伴い、宮城県・仙台市教育委員会が1994年から進める発掘調査で、中世の武士階級の屋敷跡や平安時代の畑跡などが発見されている。
 今回の宮城県教育委員会による発掘調査では、幅約3mの堀を方形に巡らせた屋敷跡を調査。仙台市教育委員会が1997年に行った隣接地の発掘調査で出土した同時期の土壙墓の副葬品の年代から、16世紀代に属すると考えられる。
 中世の中野高柳遺跡周辺は八幡荘と呼ばれた荘園であったと考えられている。八幡荘は鎌倉時代には平姓陸奥介氏、南北朝時代以降は平姓八幡介(のち八幡氏と称す)が治めていた。戦国時代に入ると、八幡氏は岩切城を居城(のち利府城に移る)とした留守氏の家臣となり、八幡荘は留守氏の領地の一部となったとされている。宮城県教育委員会は、中野高柳遺跡で見つかった中世の遺構が八幡荘を治めた武士階級(平姓陸奥介氏・八幡氏)にかかわる屋敷跡とみている。出土遺物には、香や茶の湯の道具のほか中国から輸入した高級な焼物があり、屋敷での生活を窺わせている。
 このほか、十和田a火山灰(To-a)層の上下から、平安時代の畑跡や水田跡などが発見された。