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仙台城復元計画・艮櫓再建の行方
― 石垣解体修復工事と発掘調査から ―


 日本で最も優れ、また堅古なるものの一つ―。慶長16(1611)年、仙台を訪れたスペイン使節ビスカイノが称賛した仙台城。その復元計画の第一歩となる艮櫓(うしとらやぐら)の再建をめぐり、激しい議論が展開されている。
 仙台城本丸の石垣解体修復工事に伴う発掘調査で、400年ぶりに姿を現した「政宗の石垣」が現代にもたらしている論争の経過を振り返り、今後の課題を探る。


シンポジウムに市民300人

 2000年1月30日、仙台郷土研究会(会長渡辺信夫東北大名誉教授)の主催でシンポジウム「仙台城石垣の保存について」が開かれた。会場となった仙台市青葉区の斎藤報恩会自然史博物館には予想を上回る300人の市民が駆けつけ、ホールは異様な熱気に包まれた。
 東北大学文学部の入間田宣夫教授は「仙台市民の誇りである政宗の貴重な文化遺産を後世に残すべき」と「政宗の石垣」の保存を訴えた。また東北歴史博物館の岡田茂弘館長は「発掘調査によって艮櫓の位置が現存石垣の上ではなかったことがはっきりした以上、当初計画どおりの建設は歴史の捏造」と「艮櫓の位置」に関して問題を提起した。

異例の大胆工事と発掘調査

 現存石垣(第三期)の内側から政宗の築城期の石垣(第一期)が初めて見つかったのは1998年12月。1999年5月には築城から十数年後の石垣(第二期)も発見され、現存石垣の内側に度重なる地震との戦いの歴史が隠されていたことが分かった。
 入間田教授が「貴重な文化遺産」と位置付ける仙台城の石垣の貴重さとは何なのか。大小1万個にも及ぶ石垣の石を取り外す仙台城本丸北東部の現場で、発掘調査にあたる仙台市教育委員会文化財課の金森安孝主査は「石垣の構築技術の変遷がこれほどコンパクトにまとまって見ることができるのは、全国でここだけ」と胸を張る。

明らかになる石垣の歴史

 関が原の戦い直後の慶長5(1600)年12月、伊達政宗が仙台城の築城を開始した時期に造られた最初の石垣(第一期)は、自然石を使用した「野面(のづら)積みと呼ばれる工法。
 この第1期の石垣は政宗治世期の元和2(1616)年の大地震で被災し、第二期の石垣が造られた。第一期の石垣と同じ野面積みだが、石垣裏の盛土や排水に関する高度な土木技術の存在が明らかになった。石垣の勾配も大きくなっていて、技術の進歩を物語っている。
 現存する第三期の石垣は、石材の全面を加工する「切り石積み」で、寛文13(1673)年以降の築造。崩れ残った古い石垣と背面の構造を巧みに利用し、一体化した構造であることが明らかになった。異例の大工事で、近世城郭の石垣構造の全容が、かつて例を見ない規模で姿を現している。

「政宗の石垣」が破壊の危機に

 そこに沸き上がったのが古い石垣の保存を求める声。仙台市の復元計画では、建築基準法などに基づき、艮櫓再建の基礎工事として直径2mのコンクリート杭を6本打つ。杭は石垣が載る青葉山の岩盤まで打ち込む必要があり、第一期、第二期の古い石垣を壊す恐れがあるためだ。
 仙台郷土研究会など在仙の史学研究六団体をはじめ、学者らの相次ぐ訴えに押される形で、藤井黎仙台市長は「古い石垣の保存と艮櫓復元の両立」を表明した。
 仙台市建設局などは、古い石垣を埋め戻した上で杭の形状や打つ位置を工夫するなどの「両立」の手立てを建築の専門家らと検討。そして7月21日、第一期の石垣は埋め戻して保存することを発表した。一方で第二期の石垣については、復元する第三期石垣の安全性を優先し、最小限の範囲での解体・移設も視野に入れて検討する意向を示した。

艮櫓の再建計画

 仙台市の計画によると、艮櫓は木造3階(延べ床面積327u)で高さ16.5m。三重屋根、入母屋造り、本瓦葺きの本体と、木造平屋建ての西脇長屋(床面積29u)を建設する(1999年3月仙台市観光交流課「仙台城艮櫓復元事業パンフレット」による)。
 もともと本丸には四基の三重櫓があったが、正保3(1646)年の大地震で倒壊した。度重なる災害に加え、明治維新後の取り壊しや火災などで、仙台城本丸跡に近世の建物は何も残っていない。
 仙台市が「仙台開府四百年記念事業」の一環として1996年11月に発表した「青葉山公園整備計画」は、艮櫓のほか懸造(かけづくり)と大手門の復元も計画している。艮櫓は築城当時の仙台城を象徴する建造物の一つ。復元設計は仙台市博物館が昭和60年に行った仙台城館建築調査の結果が元になっている。

新事実が計画を揺さぶる

 前例のない規模での修復工事と発掘調査の結果、現存石垣の内側から初めて姿を見せた「伊達政宗の石垣」。仙台の歴史学界に衝撃を与えた新事実は、仙台開府四百年記念事業の一環として、石垣修復後に予定されている艮櫓の再建計画をも大きく揺さぶっている。
 仙台市の仙台城跡石垣修復等調査検討委員会の副委員長を務める東北大学文学部の渡辺信夫名誉教授は、「そもそも現存石垣の北東角に艮櫓再建を計画したのは、政宗時代から石垣の位置が変わっていないことが前提だった」(5月20日付河北新報)と戸惑いを見せた。

市街地から見えない

 艮櫓を再建する本丸北東部で現存石垣(第三期)の内側から築城期石垣(第一期)が見つかり、その十数年後に造られた政宗治世期の石垣(第二期)も現存石垣を裏から支えるような状態で発見された。3つの石垣の勾配は古いほど緩やかだったことも明らかになった。
 この新事実が、櫓の位置をめぐる議論のきっかけとなった。艮櫓は第一期と第二期の石垣の上にしかなく、地震で倒壊したあと、現存石垣(第三期)の上には再建されなかったことが絵図などから分かっている。石垣の解体修復工事に伴う発掘調査の成果は、第一期と第二期の石垣の上端が、現存石垣(第三期)よりも後ろにさがることを示した。つまり艮櫓の位置も現存石垣(第三期)の角ではなく、7m以上後退する。この場合、復元した艮櫓は現存石垣の陰となって市街地からは見えなくなる。

史実に反する再建計画

 発掘調査で新事実が分かった以上、当初計画通りの現存石垣(第三期)の北東角への再建は、史実に反する。2000年2月に開かれた仙台城跡石垣修復等調査検討委員会でも第一期、第二期の石垣の保存問題とともに、この点に議論が集中。現在まで結論を持ち越す異例の展開となった。
 東北歴史博物館の岡田茂弘館長は1月のシンポジウムで、現存石垣(第三期)上の地表に第二期の石垣の上端部分を復元し、その上に艮櫓を再建することを提案。こうすることで「政宗の石垣と櫓」をアピールでき、市街地からも見えるので艮櫓のシンボル性も損なわれない。史実に忠実であることで観光効果も増すという考えだ。
 一方、観光のシンボルづくりとして、大手門と艮櫓の再建を核にした仙台城跡の整備を1988年から要望していた仙台商工会議所の村松巌会頭は、観光の観点から現存石垣の北東角への再建を主張し続けている。
 仙台市も当初、櫓の役割や石垣とのセットで見せる景観を重視し、現存石垣の北東角への再建を表明していた。仙台市が艮櫓の位置にこだわる背景には、本丸跡での別の建物の再建計画がある。史実の場所では再建が不可能なものもあり、何でも史実と言っていたら、すべてがストップしかねないという危惧もあるという(5月20日付河北新報)。
 あくまでも史実に基づく復元を主張する歴史学者らには、別の危機感がある。「史実に反する復元」が、長年の課題ともなっている仙台城跡の国史跡指定にとって妨げになりかねないからだ。史跡の復元は、史実に基づくことが原則。現存石垣(第三期)北東角への強引な艮櫓再建が仙台城の史跡としての価値を少なからず損なうことは明らかだ。

結論はもうすぐ

 郷土史家の逸見英夫氏は1月のシンポジウムで「市は市民の関心を高める工夫が足りない。この際、大いに議論し、そのことで市民の参加意識を高めて欲しい」と述べた。「見栄え」という主観的な問題に、今後の復元計画や、国史跡指定も微妙に絡んで、関係者を中心とした議論は過熱する一方だ。市では7月になってようやく市民へのアンケート調査を実施することを決めた。
 8月10日には仙台商工会議所が設置している「仙台城復元委員会」(委員長・村松巌会頭)が現存石垣(第三期)の北東角への艮櫓の早期建設を藤井黎仙台市長に要望。藤井市長は「慎重判断」との発言を繰り返した。
 そうした中、仙台市が8月28日に開いた仙台城跡石垣修復等調査検討委員会の最終会合では、艮櫓の建設位置について「現存石垣(第三期)の北東角」と「史実通り第二期石垣の上」の2つの意見が改めて提示され、激しく議論されたものの結論は出せなかった。佐藤巧委員長(東北大学名誉教授)は、2つの意見とその根拠を併記し藤井市長に提出する考えを示した。委員の任期切れと石垣の土台にダメージを与えかねない工期の遅れを理由に検討委員会を終了させたが、結論を急ぐ市に委員からは「さらに調査検討が必要」、「会合の回数が少ない」などの不満の声が相次いだという。「国史跡指定のため、史実に基づく復元を」という主張についても、さらに突き詰めた議論が必要だっただろう。仙台城全体の復元整備の在り方をも左右する問題だからだ。
 9月3日には日本城郭史学会が第一期、第二期石垣の保存と地中階段による展示を求め、仙台市への行政指導を文化庁に要望。仙台市にも同様の要望を提出した。6日には仙台郷土研究会など在仙の史学研究7団体が仙台市に2度目の共同要望を行い、第一期、第二期石垣の保存と、艮櫓の復元位置については二期石垣の上とする見解を初めて打ち出した。仙台市は「古い石垣は費用がかかっても保存したい」と強調する一方、艮櫓の復元位置については明言を避けた。
東北大学東北アジア研究センターの佐藤源之教授(地球工学)らは5日、現存石垣(第三期)の北東角近くで7月に行った独自の地中レーダー探査の結果を明らかにした。艮櫓の復元予定地付近に未発掘の石垣が埋まっている可能性があるという。
専門家の意見が分かれたまま、結論は藤井市長の判断に委ねられた。藤井市長は8月29日の定例記者会見で、「広範な市民や市議会、仙台商工会議所などの声を聞いて総合的に判断し、遅くとも10月中に結論を出したい」との方針を示した。 「将来の市民が仙台に住むアイデンティティーを持てるような再建につなげたい」という藤井市長の結論が、まもなく下される。

2000.08.30(2000.09.20追記) 管理人