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仙台城跡保存問題に思う


[ 速報:仙台市が仙台城跡の艮櫓建設を断念 文化庁が「部分指定」認める英断 ]
 19日までに仙台城跡の国史跡指定(部分指定)が内定したことを受け、藤井黎仙台市長は20日、本丸跡における艮櫓建設計画の全面撤回を表明した。これにより、歴史的な事実関係に基づかない櫓の建設とこれに伴う旧石垣遺構の破壊は回避された。
 これまでに艮櫓の建設中止と仙台城の国史跡指定の推進を求め、再三にわたり繰り返されてきた歴史・考古学関係団体からの要請について、藤井市長は記者会見で「(艮櫓建設の中止と)直接的には結びつかない」との見解を示した。しかし、藤井市長の思惑がどうあれ、研究者と市民とが一体となって展開した文化財保存運動と、行政の誤りを正す市民運動とが藤井市長に艮櫓の建設を断念させたことには疑いの余地がない。
 艮櫓建設をめぐる一連の問題は、文化財の保護と復元に対する仙台市の誤った認識が招いた行政としての判断ミスである。石垣解体に伴う発掘調査の結果は、現存石垣上の艮櫓の存在を否定するものであったが、この新事実に基づいて艮櫓建設計画が見直されることはなかった。不必要な艮櫓建設計画のために、これまでにどれほどの税金が浪費されたであろうか。国史跡指定を目指すという方針を掲げながら、これを妨げる艮櫓建設計画が頑なに進められてきたのは何故なのか。仮に今回の文化庁の英断がなければ艮櫓は計画通り建設され、国史跡指定は永久に不可能となっただろう。仙台市にはこれまでの経緯の説明とこの問題に対する真摯な総括が求められると同時に、今後、仙台城跡をはじめとする市内の文化財の保存と活用について市民と共に継続的に議論していく場の整備が急がれねばならないであろう。(5/20公開、5/22一部加筆)

<関連記事>
仙台城跡が国史跡に 来年度にも本丸東側指定 河北新報020520朝刊
 http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2002/05/20020520J_13.htm
艮櫓の復元断念 史跡指定で方針転換 仙台市 河北新報020520夕刊
 http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2002/05/20020520J_14.htm
研究者ら“決断”評価 艮櫓建設断念 河北新報020520夕刊
 http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2002/05/20020520J_15.htm
2002/05/20(Mon)


[ 「裏込め石」と「修復記念石」 ]
 3月28日付河北新報によれば、仙台市は4月7日、仙台開府四百年記念事業の一環として「みんなで積み上げる仙台城の石垣セレモニー」を開催するとのことです。青葉城本丸会館での「歴史講演会」の後、石積み工事が進められている仙台城石垣修復工事現場で「石垣セレモニー」が行われるのですが、その内容は下記のようなものです。
> 石垣の裏に詰め込む「裏込め石」に参加者が未来に向けたメッセージを書き、参加者自身の手で工事現場に積み上げてもらう。また、藤井黎市長が記名した「修復記念石」も石垣に積み上げる。
 つまり、藤井市長は石垣の石に、仙台市民はその隙間を埋める裏込め石に…。率先して裏込め石となって市民生活を支えるべきは藤井市長のはず。仙台市当局と藤井市長の見識を疑わざるを得ません。
 藤井市長が記名した「修復記念石」というのは、2000年10月の「石積み開始式」の際に記名したものだそうですが、この式典の際に市長・市議会副議長以下が鹿島建設の名の入った法被を着用していたことが問題となりました。仙台開府四百年記念事業とは、一体誰のお祝いなのでしょうか。石垣修復は藤井市長と鹿島建設との記念事業なのでしょうか。
 「石垣セレモニー」の参加者は400名を見込んでいるようですので、全員が石垣の石に記名するというのは難しいかもしれません(不可能ではないと思うのですが)。それならば、藤井市長も市民とともに裏込め石に記名すべきではないのでしょうか。何故、藤井市長一人が石垣の石に記名するのでしょうか。仙台市民は心から開府四百年を祝うことが出来るでしょうか。市長も役人も市民感情には無頓着で、このようなことが無批判に行われていくことそのものに疑問を感じずにはいられません。行き過ぎた拡大解釈かもしれませんが、仙台市当局の市民に対する認識、現在の藤井市政のあり方を象徴しているように感じるのは果たして管理人だけでしょうか。
2002/03/30(Sat)


[ 仙台城跡調査指導委・石垣修復工事専門委‐艮櫓建設計画の再検討迫る‐ ]
 3月18日に開かれた仙台城跡調査指導委員会の第2回会合で、仙台市が国の史跡指定を目指すとする方針を掲げながら、現存石垣上には歴史上存在しなかった艮櫓の建設計画を進めていることに対し、批判が相次ぎました。また、3月19日に開かれた仙台城石垣修復工事専門委員会の第7回会合では、石垣の背後に艮櫓の支持杭(コンクリート製パイル6本)を立てることに対し、委員から現在復元している石垣の安全性が揺らぐとして疑問視する声が相次いで出されたとのことです。
 さらに、18日の仙台城跡調査指導委員会の中で、斎藤鋭雄委員長が「同委員会での調査検討結果が出る前にパイルの基礎工事に着手するような計画はおかしい」と厳しく追及し、これに対して仙台市が「仙台城跡調査指導委員会の調査と評価が出るまではパイルの基礎工事には一切着工しない」と明言したとのことです(平川新2002「第2回仙台城跡調査指導委員会ウォッチング」http://www.vegalta.net/~ishigaki/)。
 艮櫓の基礎工事は修復中の石垣の積み上げと並行して進められる計画でしたが、これによって事実上仙台市の計画通りの進行は不可能となり、当面の艮櫓着工の見通しは絶たれました。石垣の積み上げが完了してから艮櫓の基礎工事を行うという工法は費用・工期・技術面のいずれから考えても現実的でありません。また、委員会では艮櫓建設の歴史的根拠について仙台市のずさんな検討に対する批判や、国史跡指定の阻害要因は排除すべしとの意見が相次いでおり、仙台市に対して艮櫓の建設計画そのものの再検討を強く迫る重要な委員会となりました。
2002/03/21(Thr)


[ 仙台城に関する問題について ]
一年近くの間、管理人の都合によりサイトの更新が低調であったため、当サイトでは仙台城の問題からもすっかり離れてしまった感があります。しかしながら、この間にも関係各位の継続的な活動が続けられてきました。この問題を扱ってきた当サイト管理人としては大変申し訳ないのですが、この間の経過については仙台城の石垣を守る会および仙台城石垣保存問題のページに詳しいので、そちらを参考にしていただきますようお願いいたします。
2002/03/20(Wed)


[ よみがえれ石垣!(2) ]
 3日の修復工事現地見学会では公園課職員の方から3期石垣の修復方法について説明がありましたが、艮櫓再建に伴う基礎工事について市側からの説明は一切ありませんでした。
 艮櫓の再建位置については「史実に忠実か否か」という点が強調された報道が多い中、基礎工事としてのコンクリート柱の設置とそれに伴う土砂掘削が1期石垣や関連遺構に及ぼす影響について、詳しく知らないままの見学者も多かったはずです。この点についてもこちらから詳しく説明を求めるべきだったと帰宅後に気がついた次第(ーー;)
 石垣修復で私たちがどれほど伝統工法を追求したところで、背中にコンクリート柱を背負った石垣なんて、やはり、どうにも納得できません。その石垣修復についても、先の市民集会では「伝統工法を無視しており、最悪の場合、地震で石垣が崩れてコンクリート柱と艮櫓だけは残った、ということにもなりかねない」との指摘がありました。
 一方で見学会に参加した市民の中に、艮櫓について「史実史実と言ったって所詮その位置も推定に過ぎないじゃないか」、「見栄えのする立派なものの方がいい」という意見や、石垣について「今の技術で修復すれば安心」と言う意見を少なからず耳にして、ある種の危機感を抱きました(4日更新の「よみがえれ石垣!」は、その危機感がもとになっている)。
 艮櫓を見栄えのよい現存石垣上に再建した場合と、史実や1期石垣の保護を重視して2期石垣の推定天端ライン上に再建した場合の位置の差は約8m。確かにこの8mという距離だけを考えれば、あまり大きな差ではないかもしれません。
 しかし、2期石垣の推定ラインには発掘調査や絵図の調査に裏付けられた一定の歴史学・考古学的根拠があります。仙台城復元事業の第一歩で「場合によっては史実と異なる復元(それは"復元"とは言わないけれど)を行っても良い」と言う前例を作ってしまうことは到底容認できません。適当な"お城"イメージが先行する復元をやったならば、それはもう仙台城じゃなくてもいいわけです。さらに石垣の修復工事では、時間をかけた発掘調査の成果が活かされておらず、伝統工法軽視の姿勢が明らかです。仙台城の歴史的価値の説明にならない復元はいったい何のための復元でしょうか。
 ましてや仙台開府四百年の記念に、伊達政宗による仙台城築城期の1期石垣(ちなみに2期石垣は2代忠宗、3期石垣は4代綱村治世期の構築)の保存を脅かしてまで強行されようとしている艮櫓の再建計画には大きな疑念を抱かざるを得ません。2期石垣上への復元ならば政宗時代の石垣を傷つけることなく、また基礎工事も現計画ほど大規模なものでなくても良くなるはずです。2期石垣上では「市街地から見えない」という意見についても、「2期石垣を数段復元した上に艮櫓を再建すれば市街地からも見え、石垣の視覚的説明にも役立つのではないか」という岡田茂弘氏の提案があります。
 石垣の安全性の問題など、現実として解決しなくてはならない問題が存在しているのも事実です。「文化財の保護という観点とは一見すると相反するように見えるこれらの課題を、どのようにクリアしていくことができるのか、真剣に考えていく必要がある」と(1)で書きましたが、これには「否、実際には(それほど大きくは)相反さないだろう」という含意があります。だからこそ、各方面の専門家と市民、行政を交えた開かれた議論によって、仙台城の石垣をどうすることが仙台のまちづくりにとって最良の選択であるのか、現在の仙台市の方針について充分に検討される必要があります。さらに、石垣修復・艮櫓復元の事業主体が仙台市であり、仙台市民の税金によって行われている以上、最終的な判断をする権利はほかならぬ仙台市民にあるのです。
 5日に藤井仙台市長が仙台城石垣修復工事専門委員会、仙台城艮櫓復元専門委員会、仙台城跡調査指導委員会の3委員会の設置を発表しました。研究者や市民団体の努力によって、ようやく事実上の再設置に漕ぎ着けた委員会がこうした問題の解決に大きな役割を果たすものと期待しましたが、委員の構成や委員会の権限の問題などが早くも指摘されており、このままでは形だけの委員会になってしまう可能性があります。現状では仙台市の根本的姿勢には何ら変化を認めることが出来ないと言わざるを得ません。現場職員の方々の誠意ある取り組みとは、あまりにも対照的なのではないでしょうか。
2001/06/07(Thr)


[ 「よみがえれ石垣!」への感想(平川新氏)と「委員会設置」へのコメント(仙台城の石垣を守る会) ]
4日更新の「よみがえれ石垣!」について、仙台城の石垣を守る会の平川新氏が感想を述べられています。
> …にもかかわらず、こうした重要問題を検討委員会にもかけずに、
> 独断で実施しているという点に、きわめて大きな問題があります。
また、5日に藤井市長が発表した3委員会の設置について仙台城の石垣を守る会のコメントが掲載されています。
> 委員会ができたと単純に喜ぶわけにはいきません。
> 最初から骨抜きにされた委員会に、しっかりと骨を入れるよう、市民が大きな声を出していく必要があります。
詳しくは仙台城の石垣を守る会ホームページの「message(意見・質問欄)」をご覧ください。
2001/06/06(Wed)


[ よみがえれ石垣!(1) ]
 発掘調査によって明らかになった仙台城の石垣の変遷は、改修のたびに試行錯誤を繰り返し、常に最新の技術を取り入れながら進歩させてきた先人たちの生々しいまでの苦闘の跡でした。そしてそれは、仙台のまちづくりの歴史そのものであったと言ってよいでしょう。私たちはこの遺産を、どのようにして次世代へ引き継いでゆくことが出来るのでしょうか。
 文化財の保存とは何か、復元とは、そして修復とは。技術を継承するとはどうすることなのか。当時の人々の理念とはどのようなものであったのか。―技術の継承とは、当時の人々の苦心の跡を肌で感じ、彼らの目指したもの‐理念‐を読み取り、これからに生かしていくことではないでしょうか。
 通常の遺跡から発見される住居跡や建物跡といった遺構は、遠い昔に本来の役目を失ったものです。そしてその復元には、本来の機能を果たしていた往時の姿‐過去の一瞬‐を再現することに主眼が置かれています。これに対して仙台城の石垣はまさに"生きた文化財"です。修復後もこれまで同様、石垣としての機能を十分に果たしうるものでなければならず、通常の遺跡復元とは異なる次元での復元‐石垣に再びいのちを与えること‐を考えていかなければならないでしょう。
 6月3日に開かれた修復工事の現地見学会で私は、修復の工法についていくつかの疑問点を公園課職員の方にぶつけてみました。すると忙しい中にもかかわらず、私のような一学生に対して20分ほどにわたりとても丁寧に説明してくださり、石垣を生き返らせることに真摯に取り組んでいる様子が伝わってきました。具体的な方法、意見に食い違いこそあれ、仙台城の石垣に対する思いはそれほど違わない、共通する部分もあるのではないか。かすかにそんな印象を抱きました。
 私は石垣の修復について、「これまで300年持ちこたえてきたのだから、当時とまったく同じ工法で寸分違わぬ姿に戻してやればそれで良い」と考えてきました。しかし、一方でそのように一筋縄には行かない、さまざまな課題があることを知りました。文化財の保護という観点とは一見すると相反するように見えるこれらの課題を、どのようにクリアしていくことができるのか。私たちはより真剣に考え、より具体的な提言‐石垣の背面構造を形だけ復元することにとどまらない‐をしていく必要があるのかもしれません。
 文化財を引き継ぐことの本当の意味は、伝統技術を継承することではないでしょうか。それならば、私たちも当時の人々と同じように頭を悩ませ、考えるべきです。伝統技術を継承すること、当時の人々の理念を引き継ぐとはどうすることか。各方面の専門家の知恵を借りながら、私たち市民と行政とが一体となって取り組むことができれば、その答えは決して手の届かないものではないはずです。
 そして、さし当たって市民の立場から望みたいのは、このような現地見学会を修復工事の節目節目で開催し、市民の目に見えるものとしていくこと、石垣をめぐる議論がエゴとエゴのぶつかり合いに陥らぬよう、各方面の専門家と市民、行政を交えた開かれた議論の場を、事業主体の仙台市が早急に設置することです。
2001/06/04(Mon)


[ 市民集会の成功は市民に何を訴えたか ]
 3月10日に開かれた「政宗公の石垣を守ろう‐市民の集い‐」。仙台城をめぐる一連の問題に関して、最近は一部の専門家だけの内向きな議論との評価も聞かれた中、市民団体「美しい仙台を創る会」の呼びかけで開かれた市民集会には270名の市民が詰め掛け、市民の関心の高さを明らかにしました。集会は歴史学者を招いた勉強会のほか、腹話術や演劇を交えた今までにないスタイルで展開され、仙台城跡の石垣修復と艮櫓復元の問題点を多くの市民に訴えました。
 仙台城をめぐる一連の問題は決して専門家だけの問題ではなく、歴史学・考古学といった学問の枠組みを超えた市民共有の問題です。これまで緊急討論会やシンポジウムなどで行政の問題点を市民に明らかにしてきた専門家の努力が、ついに市民運動に発展しました。今後は、市民とともに考えようとする行政の努力が、仙台の街づくりの将来を握っていることは言うまでもありません。
 市民の立場に立った専門家のわかりやすい解説、問題の要点を的確に訴える腹話術と演劇は、参加した市民の多くから「何が問題なのか良く分かった」と好評だったといいます。ムツカシイことをカンタンなことばで言うことほど、簡単そうに見えて難しいことはありません。私は"市民向け"に文化財の情報誌発行やホームページ運営をしていますが、内容的にどの程度"分かりやすい"ものになっているのかという点については−活動の根本に関わる問題でありながら−あまり自信がありません。
 複雑な問題であっても工夫次第で市民の理解を得ることができること、専門家は市民に伝える努力を怠ってはならないことを強く感じ、個人的にも非常に勉強になりました。"専門家と市民との対話"を進める上で当サイトの活動も何らかの助けとなることを願ってやみません。
2001/03/22(Thr)


[ 検討委設置要望も拒否する「見た目重視」の安易な姿勢 ]
 2月8日午前の「仙台城の石垣を守る会」の要望書提出の様子が「仙台城石垣保存問題のホームページ」で紹介されていました。守る会では、現在の工法で石積みを続けると仙台城石垣の文化財としての価値が大きく損なわれることを強調し、伝統工法による修復を確実なものとするために、石垣研究者を入れた検討委員会の設置を要望しました。
 現在のような工法を選択した理由として市が前面に押し出してきた「安全確保」は、解体修復工事の第一の要因となったものであり、確かに重要な問題です。しかし、300年以上(おそらく市道が通っていなければもっと)持ちこたえてきた石垣の工法が「安全性に問題のある」ものであったとは思えません。「コンピュータ解析の結果」は複雑な地盤・自然環境においてどこまで実用しうるレベルのものなのでしょうか(後注:仙台市が現工法の根拠であるかのように持ち出したコンピュータ解析はその後、3期石垣の復元とは直接関係のない分析であることが守る会の調査によって明らかになっている)。
 市の応対を見ると、やはり「文化財の保存・修復」に対する知識と理解が欠如しているように思えます。少なくとも現在の情報量からでは、歴史学・考古学の分野を排除しての文化財修復と思わざるを得ません。
 工事が始まって初めて問題点が浮上してくること自体大きな問題です。先の検討委では修復の具体的工法についての検討は為されていなかったのでしょうか。為されていないとすれば、何のための検討委であったのでしょうか。
 詳細が公開されず「市独自の解析」に基づくと言われてもそれが妥当なものであるかどうかの検討もできません。やはり、市の方針や決定について客観的な判断をする組織が必要だと思います。検討委再設置の要望に対して市が否定的見解を示した理由は何でしょうか。「なるべく元の石垣に近い形で再現するように努める」というのは「外観が」ということなのでしょうか。
 艮櫓に続き、石垣修復にも見た目重視の安易な姿勢が見て取れます。専門家と市民、行政が一体となって進められるべき文化財修復について検討委の設置が市によって明確に拒否された今、あらためて、行政体としての市の姿勢を疑います。
2001/02/17(Sat)


[ 石垣修復にも問題点浮上で活発化する市民の動き ]
 仙台市が進める仙台城本丸跡の石垣の解体修復工事で、現在進行中の石積み工事が伝統工法から逸脱したものであるとの報道がなされました(2月7日付河北新報朝刊)。破損した石材に替えて補充している新補材の形状が旧材とは大きく異なることや、新補材を積む際に旧材を削っていることなどが明らかとなり、現在の工法では仙台城石垣の文化財的価値が大きく損なわれるばかりか、石垣自体の強度や安定性への影響も懸念されます。
 1月26日に美しい仙台を創る会(事務局・吉岡和弘弁護士)が開催した石垣見学会でも同様の問題点が指摘されており、仙台城の石垣をめぐる市民の動きが活発化しつつあります。8日午前には仙台城の石垣を守る会(代表世話人・平川新東北大学教授)が藤井黎仙台市長に対して工法の見直しや専門組織の設置を求める要望書を提出します。また、美しい仙台を創る会では、3月10日に艮櫓・石垣問題を取り上げる市民集会を予定しています(詳細は分かり次第ご案内いたします)。多数の方の積極的な参加がこの運動にとっての大きな弾みになりましょう。
2001/02/08(Thr)


[ 議論が噛み合っていない ]
 仙台城跡の艮櫓建設位置をめぐる議論で2000年11月14日、「仙台城艮櫓復元事業の進め方について」が発表され、ついに「3期石垣上」との市長判断が下されました。史実を完全に無視した結論であり、到底納得できるものではありません。
 藤井市長の「2期石垣の上では石垣と櫓の一体性が確保できない」という意見については納得できますが、だからといって3期石垣上で良いという事にはなりません。艮櫓の復元が必要かどうかも含め、今後ももっと突き詰めた議論が必要なのではないでしょうか。
 史実に忠実であろうとする意見に対し、商業界や市長は次のように答えます。
 再三にわたって3期石垣上への早期復元を要望してきた仙台商工会議所の村松巌会頭は「(当時の藩主)伊達綱村公も北東角に復興するつもりだったのだろう」と繰り返しました。藤井市長は「仙台藩の為政者がどういう城を築きたかったかも考慮し、結論を出した」とし、仙台城跡石垣修復等調査検討委員会(1997年8月〜2000年8月)の委員長として復元計画に携わってきた佐藤巧東北大学名誉教授は「3期の北東角に立てる計画の絵図もある。」として市長決断を支持します。
 史実に基づいて行われないものは「復元」とは呼べません。史実とは、歴史上の事実であり、歴史上実際にあった事柄を指します。当時の人が「出来なかった(やらなかった)」ことを現代で実現しようとする行為は、「復元」とは呼べないのではないでしょうか。
 どうも私たちと市長サイドとでは、「文化財修復」「復元」についての根本的な認識にズレがあるように思えてきました。
 この「ズレ」を正すことが出来れば・・・。
2001/02/07(Wed)