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日本応用地質学会東北支部
平成13年度日本応用地質学会東北支部総会公開シンポジウム
「日本旧石器問題で応用地質学はなにを貢献できるか」
−報告−




大村一夫氏(日本応用地質学会東北支部副支部長・株式会社大和地質研究所社長)

・ 一斗内松葉山遺跡の調査のように対処療法的に終わらせてほしくない。同じ地球の表面を調べていく仲間として協力関係を築いていきたい。



シンポジウム開催にあたって‐ヒトはどこからきてどこへ行くのか‐
田野久貴氏(日本大学工学部教授・日本応用地質学会東北支部長)

・ 応用地質学は地質学を母体とする学問分野。従来は主として建設等に関わる問題を取り扱ってきたが、今後は災害や環境問題など自然を中心にさらに守備範囲が広がるものと予想される。
・ あらゆる学問は「ヒトはどこからきたか」という問いの答えを探している。旧石器発掘捏造問題は考古学界が結論を急ぎすぎた結果ではないか。
・ 石器を掘り出すというプロセスの確認に、同じく地層を定量的に扱う応用地質学的な面から何らかの手助けができるはず。
・ 「最古である」という主張には不確実さが伴うため、証拠の追求によりその正否を問うのが科学的手法であり、本来この主張は部内にとどまるもの。当事者のみならず学界、マスコミ、出版界、自治体と極めて広範な分野に衝撃を与えたことは異常。
・ 旧石器発掘捏造問題は考古学界の不良債権問題。当事者らは自らの不良債権を自ら処理する力や決断力を持っているはず。公的資金投入などという手法は回避してほしい。
・ 日本応用地質学界東北支部としてあえて旧石器発掘捏造問題を取り上げたのは「ヒトはどこからきてどこに行くのか」という問いの答えを探すために考古学界にもがんばってほしいと感じているから。



日本における前・中期旧石器時代研究の歴史と問題点
矢島国雄氏(明治大学文学部教授・日本考古学協会総務委員)

・ 日本の旧石器研究は、昭和24年に相沢忠洋氏が岩宿遺跡で発見した石器を明治大学考古学研究室に持ち込んだことに始まる。これは後期旧石器時代の遺跡で、その後全国で様相が明らかになっている。
・ 相沢氏はその後、権現山遺跡や不二山遺跡などさらに古い時期の資料を提示し、第四紀学会で発表している。
・ 大分県早水台に始まる芹沢長介氏の前期旧石器探索や、平安博物館による大分県丹生遺跡の調査などがあったが、「発見された石器が人口品か否か」、「石器が発見された地層の年代と性質」などに議論があり、確実な前・中期旧石器時代の遺跡としての確証を得られなかった。
・ 芹沢氏の星野遺跡の調査を中心とする北関東の珪岩製旧石器の問題でも「発見された石器が人口品か否か」という点が議論となり、確証を得るに至らなかった。
・ 1971年に開かれた第四紀学会のシンポジウムで旧石器時代研究の現状が総合的に議論され、後期旧石器時代の石器群文化への理解が形成された。北関東の珪岩製旧石器については地層の問題が解決したものの、石器かどうかの議論が深められず、その後自然破砕礫としての認識が広まった。
・ 岡村道雄氏が珪岩製旧石器と斜軸尖頭器石器群を比較し、珪岩製旧石器を自然破砕礫として整理した。その後、宮城県北部の江合川流域での研究が盛んになった。
・ 1967年に杉原壮介氏が3万年前以前の旧石器を否定し、今後の可能性を含めた慎重な研究姿勢を呼びかけた。
・ 2000年11月に上高森遺跡と総進不動坂遺跡での旧石器発掘捏造が発覚し、同一調査者の関与した遺跡に疑念が生じた。その後検証作業でも一斗内松葉山遺跡、多摩ニュータウンNo.471-B遺跡、長尾根・小鹿坂遺跡などに疑問が生じるなど、生きた資料としてそのまま使うことはできない状態になった。
・ 日本考古学協会で特別委員会の準備が進行中であり、調査方法・研究方法の確立を目指していきたい。



自然科学(第四紀学)からみた前・中期旧石器問題
町田洋氏(東京都立大学名誉教授)

・第四紀学は地球現代史を多元的、学際的に研究する分野。考古学に対しても"考古科学"としての発展に期待している
・学問の世界では、新しい事実が認知されるのには長い時間がかかる。鹿児島から全国に降下した火山灰(AT)の存在を証明するのに10年かかった。
・座散乱木遺跡で石器が出土したのは柳沢火砕流と呼ばれる地層で、軽石を含んだ火砕流堆積物中に遺物があるのは不自然ではないか。
・多摩丘陵の場合、50万年前の砂利層は風化してスコップで切れるほどだが、埼玉県で発見された前期旧石器はほとんど風化が見られない。
・日本には、62-63万年前の大型ゾウの化石や、45万年前のナウマンゾウの化石が見つかっている。大陸と日本列島が陸橋でつながっていた寒い時期が人類渡来のチャンスだったと考えられる。



前・中期旧石器時代の発掘調査-福島市竹ノ森遺跡の発掘を中心に-
柳田俊雄氏(東北大学総合学術博物館教授)

・藤村氏と石器文化談話会を設立し、旧石器時代遺跡の調査にあたってきた。
・郡山女子短期大学在職中は福島県郡山周辺で後期旧石器時代遺跡の調査を行っていたが、藤村氏が福島県内に転勤になったことをきっかけに共同で前・中期旧石器時代遺跡の探索を開始した。
・1992・93年に竹ノ森遺跡の発掘調査を行った際には上層からの落ち込みがないかなど、常に注意しながら調査した。
・石器が出土した場所には明確なインプリントも残っており、問題ないと考えているが、写真で証明できる資料がない。
・当時は「きれいな写真をとりたい」と言うことから、出土するとすぐに水洗いをして付着した土を落としてから再配置して写真撮影を行っていたため、今の検証にはマイナスになっている。
・石器組成や製作技術の対比、テフラの年代などを総合的に考察する必要がある。
・会場からの質問:製品としての石器でなく製作に関わる遺物は出土しているか。
 (柳田氏)竹ノ森遺跡では石核が出土している。チップも少ないが出土している。
・会場からの質問:発掘調査における捏造の防止策として考えられることは。
 (柳田氏)現場管理の徹底をすべき。竹ノ森遺跡では石器が出土した際に一点一点について出土状況のチェックを行っており、今後も同様のチェックが必要だ。



日本の「旧石器時代人骨」の編年-その現状-
松浦秀治氏(お茶の水女子大学助教授)

・日本は酸性土壌で有機質遺物が分解されるため、化石人骨を探すのは非常に難しいため、石灰岩洞穴の調査が有効。
・琉球列島は石灰岩が多く分布しており、化石人骨の発見に有望だが、旧石器が出土していない。
・更新世に属するものを旧石器人骨として扱うが、4.5万年前以前の人骨については適当な測定方法がなく、考古学、古人類学の課題となっている。
・時間とともに増加、減少する物質の対比によって相対的な古さを測定し、出土地点の地層の年代測定結果とで推定する。
・化石人骨はそれ自体が希少なため、分析のための試料を得ることが難しく、伴出遺物などから間接的に年代を出していく。
・60-65万年前にトウヨウゾウが、45万年前にナウマンゾウが渡来しており、大陸と陸続きになっていたことが分かる。この時期に人類が渡来していた可能性が考えられる。
・ひょうたん穴遺跡で10万年前の地層サンプルの洗浄中に骨製尖頭器が発見されたが、縄紋時代の地層から落ち込んだ可能性もあり年代測定を検討していたが、捏造問題の発覚によりストップしている。
・年代測定で看板を出せる研究者が少ないことも、この分野で研究基盤の整備が遅れている原因のひとつと考えられる。



応用地質学と考古学の接点
大村和夫氏(日本応用地質学会東北支部副支部長・株式会社大和地質研究所社長)

・考古学の中での教育の徹底が先決。やってはいけないこと、許してはいけないことを直接教えていない。
・180ともいわれる、かかわった遺跡すべてを検証していくことは現実的でない。
・自然科学の常識を考古学にも取り入れることが必要。
・新聞記事ひとつで教科書が書き換わるのは学問のあり方として異常。
・中島山遺跡と袖原3遺跡の接合資料が発見されたとき、考古学では奇跡の発見として受け止められたが、自然科学の常識に照らせばあり得ないことと考えるのが自然。
・接合資料は石器の風化の度合いを測定することが可能ではないか。異なる環境下で埋没していれば測定値に違いがあるはずだが、近似した値ならば同一環境下で埋没していたことになる。
・土の固さを測定するポケットペネトロメーターを携帯し、発掘調査で活用すれば捏造の防止に役立つ。石器の周囲、石器一括埋納遺構の穴の中の土の固さと、周辺部の土の固さを比較することで捏造を指摘できる。
・考古学では平面的に発掘するので、捏造が起こりやすい。地層の堆積状況の観察など、地質学のようにもっと断面を重視した調査の仕方を考えるべきではないか。
・考古学も自然科学のひとつとしてあるべき。大学の講義の中で自然科学分野の講義をどんどん取り入れることが必要。
・捏造問題は反省材料として後世に語り継がねばならない。
・会場からの意見:ポケットペネトロメーターは1cm程度の先端部を土に差し込む必要がある。上高森遺跡で捏造された石器一括埋納遺構の場合、埋納坑の深さは最大でも5cm程度で、先端部が石器に当たってしまったり、遺構を貫通して埋土より深い部分の土の固さを測定してしまう可能性も考えられる。さらに遺構内部の埋土は周辺の土より柔らかいのが普通で、周囲より柔らかいことが一概に捏造の決め手とはならないなど、問題点が多く実用的ではないと考えられる。
・会場からの意見:平面的な発掘にこだわっているとの指摘があったが、考古学にとって遺物の出土状況や遺構の状態を平面的に捉えることは、過去の生活空間を復元する意味から非常に重要。地層断面の観察は考古学の調査でも重要な要素で、これは日常的に実施されている。



討論から

矢島国雄氏

・疑いが生じている以上、私たちは考古学の成果を客観的に証明する方法を考えていかなくてはならない。
・石器表面に自然ではあり得ない状態の鉄分の付着やガジリ痕の存在が指摘されているが、こうした視点は疑問視されている資料について判別の材料となる可能性がある。
・石器の系統をきちんと研究していくことも必要。
・自然科学的分析を含め、複数のアプローチの仕方を考えていきたい。

柳田俊雄氏

・考古学者がいかに基本的なことを怠っていたかを再認識している。
・今後さらに学際的な協力を得ていきたい。
・出土状況の記録を出土した時点で詳細に行っていくことが重要になる。

町田洋氏

・水の影響や火砕流の場合もあり一概には言えないが、礫層の礫は経年変化で風化していく。小鹿坂遺跡でも礫は激しく風化しているが、石器の石材は風化が見られず疑問。
・狭い範囲の調査区で、複数の文化層が重複して発見されることも疑問の一つ。
(会場からの意見)後期旧石器時代や縄紋時代の遺跡では、数百年から数千年の間隔で複数の文化層が確認されるのが普通。前期・中期旧石器時代の遺跡では複数の文化層が確認されていると言っても、それぞれの文化層には数万年から数十万年の隔たりがあり、統計的には何ら不思議はない。


2001.08.23 管理人