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利府町大貝窯跡第2次発掘調査
現地説明会:2001.06.17  調査主体:利府町教育委員会
 
製鉄関連遺構の全景と現地説明会風景
山の斜面を切り崩して作業場となる平場(人垣の奥)を造成している。作業場では製鉄炉跡、溝跡、炭置場とみられる遺構、床面が強く熱を受けているピット状の小鍛冶跡、柱穴などが見つかった。手前の低い部分は廃滓場として利用され、40トンの鉄滓が出土した。
 
製鉄炉跡の説明風景
右側の土坑内に箱型炉が設置されていたとみられる。調査員が立っている場所に踏みふいごが設置されていた。
踏みふいご跡
踏みふいごは炉内に風を送り込んで火力を調整する装置。シーソーのように板を敷いた上に人が立ち、左右交互に踏み込むことで風を送り出した。
 
鍛造剥片(小鍛冶炉跡)
鍛造剥片は、鉄を鍛錬する際に生じる飛び散った酸化皮膜のかけら。小鍛冶炉で道具の修理などの簡単な作業を行っていたとみられる。
羽口(はぐち)
炉内に風を送る送風管。大きさは内径4.5-6.5cm、外径10-14cm。
 
 
かすがい・角釘(鉄製)
作業場の埋土中から出土した。上屋を構築する際に使用されていたとみられる。
古銭(至大通寶)
送風施設底面に貼り付けられた粘土の中から出土した。初鋳1310年の元銭。
 
作業想定図・遺構配置図
図をクリックすると拡大画像を表示します。
鉄滓(てっさい)
製鉄や鍛冶の際に出る鉄くず。作業場前面の廃滓場から40トンが出土した。
 
製鉄関連遺構平面図
斜面を切り崩して造成した平場の周囲に排水溝を巡らせ、内側に製鉄の作業場に関連する施設がつくられていた(利府町2001より引用)。
 
まとめ
  • 宮城県内で初めて箱型炉を確認した。
  • 製鉄遺構は、旧表土中に灰白色火山灰がまだらに混在していたことや、出土した古銭の年代などから、少なくとも14世紀以降に操業されていたことが分かった。
  • 大貝窯跡は、古代陸奥国府の多賀城に関連する生産遺跡と考えられてきたが、前回の1次調査で板碑を転用した13世紀以降の炭窯跡を確認したことに次いで、今回の2次調査で、14世紀以降の製鉄炉を確認したことから、多賀城期以降も生産活動が行われていたことが分かった。
  • 諸資料から、大貝窯跡の製鉄遺構は相馬氏支配下、伊達氏支配下のいずれかの時期に操業していたことが予想されている。
参考文献
利府町教育委員会2001「大貝窯跡‐2次調査‐現地説明会資料」
利府町2001「広報りふ」13年8月号