宮城考古学情報みやぎ遺跡発掘2002>壇の越遺跡

材木塀で区画された屋敷跡を新たに発見
所在地 遺跡名 現説日 調査主体 更新日
加美郡宮崎町 壇の越遺跡 06/29 宮城県教育委員会 12/15
資料:宮城県教育委員会2002「壇の越遺跡現地説明会資料」
 壇の越遺跡は、古代陸奥国加美郡家(ぐうけ:郡の役所)跡と考えられる東山官衙(かんが:役所)遺跡の南側に位置している。これまでに、方格地割に基づいて一町(109m)ごとに碁盤の目状に整備された東西・南北の道路跡や、これに接してつくられた一辺60mの塀に囲まれた有力者の屋敷跡と考えられる建物群などが発見されている。また、こうした町並みを取り囲むように築地塀と材木塀、大溝からなる大規模な区画施設が発見され、およそ100m間隔で櫓がつくられていたことが分かっている。こうした古代の役所跡に伴う町並みは古代陸奥国府・多賀城跡などで見つかっている(山王・市川遺跡)が、東山官衙遺跡のような国府以下の地方官衙では全国的にも例がない。
 今回の調査では、方格地割に基づく東西・南北の道路跡と、これに接して材木塀によって方形に区画された屋敷跡が見つかった。屋敷跡は東西約60m、南北約65mの材木塀によって区画され、内部には掘立柱建物跡が計画的に配置されていた。出土遺物などから、屋敷跡などは8世紀代につくられ、その後10世紀までには水田となったと考えられるという。

東西道路跡(西から)。写真左から東西道路跡の北側溝、路面、南側溝。南側溝の土層断面には平安時代に降下した灰白色の十和田a火山灰(西暦915年か)が見える。

南北道路跡(南東から)。写真手前から屋敷跡を囲む区画塀跡、南北道路跡の東側溝、路面、西側溝。

屋敷跡を囲む区画塀跡の南東角(南から)。

屋敷跡を囲む区画塀跡の土層断面。幅20〜30cmの溝の中に直径10〜20cmの丸太材を10〜20cm間隔で立て並べている。

屋敷跡中央部の建物跡1(南から)。屋敷内で最も規模の大きい南北11.2m、東西6.4mの掘立柱建物跡。周囲に雨落溝が巡っている。

屋敷跡西部の建物跡2(南から)。南側に仕切塀跡がある。

屋敷跡東部の区画塀跡と建物跡(北から)。写真左から屋敷跡を囲む区画塀跡(木材の一部が残存)、建物跡4、建物跡3。