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北辺区画する溝跡を確認
所在地 遺跡名 現説日 調査主体 更新日
古川市大崎 名生館官衙遺跡第24次発掘調査(城内地区南東部) 11/23 古川市教育委員会 12/15
資料:古川市教育委員会2002「名生館官衙遺跡〜第24次発掘調査現地説明会〜」
 名生館官衙(みょうだてかんが)遺跡は大崎地方西部を治めた古代の役所跡と考えられている。発掘調査は昭和55年度から継続されており、これまでの調査で瓦葺の建物跡や門跡などが発掘され、4時期にわたる政庁の変遷が確かめられている。また、中世には奥州探題大崎氏の名生城が築かれ、現在も土塁や堀跡の形状が水田や畑の区画として遺存している。
 20次調査以降城内地区南東部を対象に調査をすすめ、昨年までに小館地区官衙の北辺を区画した可能性の高い東西方向に延びる2条の溝跡とこれに伴う櫓状の建物跡を発見している。

古代の役所跡と考えられる名生館官衙遺跡の政庁跡

中世の名生城跡の説明板

現地説明会風景
 昨年度の調査区の東側を調査した結果、北辺を区画する溝跡がさらに東へ延びており、総延長は東西約102mを超えることがわかった。溝跡は今回の調査区のさらに東側へも続いているが、既に削平されていてわからない。溝跡は最大幅3.8mの溝1(8世紀後半〜9世紀初頭頃)と最大幅2.2mの溝2(8世紀後半〜8世紀末頃)が並行しており、溝2は調査区東端部で南北方向の溝に切られている。南北方向の溝はさらに北側の調査区外へ延びることから、北側にも何らかの施設が存在していた可能性が考えられる。

東西方向に延びて北辺を区画する溝1(右)と溝2(西から)。調査区東側斜面の下に陸羽東線が走る。

溝1(手前)と溝2(南西から)

東西方向の溝2(左)を切る南北方向の溝(南から)

竪穴住居跡10のカマド跡(南から)
 今回の調査では、古代の溝跡2条、掘立柱列跡1条、掘立柱建物跡1棟、竪穴住居跡31棟、中世の溝跡1条、掘立柱建物跡1棟などの遺構を検出した。
 このうち、8世紀前半頃の竪穴住居跡10(東西3.2m以上、南北4.9m以上)の北辺に構築されたカマド跡は、両袖の先端部に直立させた甕を埋め込み、その上に焚口両端部を連結するために甕を3個入れ子状に連結させて補強材とする特徴的なもので、関東地方に類例があるという。官衙の造営・維持に関東地方からの移住者が関わっていたことを窺わせる。