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石を並べた複式炉のある縄文時代の竪穴住居跡

仙台市 下ノ内遺跡 (縄文時代中期末)
遺跡データ
遺跡名 下ノ内遺跡(しものうちいせき)
所在地 仙台市太白区富沢4丁目地内
調査主体 仙台市教育委員会
調査原因 仙台市地下鉄富沢駅周辺土地区画整理事業に伴う事前調査
公開日 2008年5月24日(土) 10:30〜
参考資料 「下ノ内遺跡発掘調査 遺跡見学会資料」仙台市教育委員会 2008.5.24
「仙台市文化財パンフレット第55集 仙台の遺跡(改訂版)」仙台市教育委員会 2005.3


発掘調査した場所を東側(富沢駅側)から見た様子
下ノ内遺跡は、仙台市営地下鉄富沢駅の西側一帯に広がる遺跡です。遺跡の広さは東西約400m、南北約250mほどです。

下ノ内遺跡のある場所は、名取川と旧笊川によって運ばれた土砂が堆積してできた自然堤防と呼ばれる地形で、周辺よりも少し高く、水はけの良い場所でした。

これまでの発掘調査で縄文時代から江戸時代までのムラの跡が見つかっています。とても住みよい場所だったようです。

現在の富沢駅周辺では、道路や宅地などを新しく作り直す土地区画整理事業が行なわれています。この工事で遺跡が壊されてしまう前に、発掘調査が行なわれました。

今回の発掘調査では、中世、古代、古墳時代、縄文時代後期、縄文時代中期末の人びとの生活の跡が見つかったそうです。

遺跡見学会では、縄文時代中期末(今から約4,000〜4,500年前)のムラの跡が公開されました。竪穴住居跡7軒、土器埋設遺構3基などが見つかったそうです。

竪穴住居跡は、地面を円く掘りくぼめたところに柱を立てて屋根をかけた家の跡です。土器埋設遺構は地面に穴を掘って土器を埋めたもので、子どものお墓という説があります。

竪穴住居跡の中には、河原石を組み合わせた「複式炉(ふくしきろ)」と呼ばれる特徴的な炉や、河原石を平らに敷き並べた「石敷き」が作られていました。

このうち、170号住居跡では、複式炉と隣り合って小さな河原石をびっしりと敷き詰めた石敷きが作られていました。このような石敷きのある竪穴住居跡は県内では初めての発見で、全国的にも珍しいものだそうです。

複式炉のある竪穴住居跡は、下ノ内遺跡から少し離れた高台にある山田上ノ台遺跡でも見つかっています。下ノ内につくられた平地のムラと、山田上ノ台につくられた高台のムラの間には、どのような交流があったのでしょう。

(山田上ノ台遺跡に整備された仙台市縄文の森広場では、復元された複式炉のある竪穴住居を見ることができます。)


遺跡見学会の様子

163号住居跡

163号住居跡の複式炉

複式炉(ふくしきろ)とは?

竪穴住居の中に作られた炉ですが、火を焚いた場所が二つあるので「複式炉」と呼ばれます。詳しい使い方は分かっていません。

上の写真の右側の「石組み部」で薪を燃やして炭火を作り、その炭火を写真の左側の「土器埋設部」に移して調理をしたという説があります。石組みや土器の内側には火を受けて焼け焦げた跡が残っています。

縄文時代中期後半(今から約5,000〜4,000年前)の東北地方中・南部では、複式炉のある竪穴住居がさかんに作られていました。


170号住居跡

遺跡見学会の様子

170号住居跡の複式炉と石敷き

遺跡見学会の様子

170号住居跡の石敷き(石が黒く焼け焦げています)

遺跡見学会の様子

180号住居跡(床に河原石を平らに敷き詰めています)

169号住居跡(壁際に河原石を立て並べています)

石棒と土偶(脚の部分)

石器(矢じりとつまみの付いたナイフなど)

縄文時代中期末の土器

縄文時代後期の土器
2008.5.29,2008.6.11更新