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石を並べた複式炉のある縄文時代の竪穴住居跡

加美町 壇の越遺跡・早風遺跡 (奈良・平安時代)
遺跡データ
遺跡名 壇の越遺跡(だんのこしいせき)・早風遺跡(はやかぜいせき)
所在地 加美郡加美町鳥嶋・鳥屋ヶ崎
調査主体 宮城県教育委員会
調査原因 重要遺跡確認調査
公開日 2008年6月15日(日) 10:30〜
参考資料 「壇の越遺跡・早風遺跡発掘調査 現地説明会資料」宮城県教育委員会 2008.6.15


現地説明会の様子
奈良・平安時代の陸奥国府・多賀城から北西に約35km離れた加美町宮崎地区の丘の上には、奈良時代前半に陸奥国加美郡の郡家(ぐうけ:郡役所)が造られました。

この頃の大崎地方は、律令国家による東北支配の太平洋側の最北端の地でした。また、律令国家は加美郡から日本海側の出羽国へ抜ける連絡路を開くことも計画していました。

その加美郡家跡と推定されている東山官衙(かんが:役所)遺跡の東側の丘に早風遺跡、南側の平野に壇の越遺跡があります。

これまでの調査で、壇の越遺跡には奈良時代の前半に碁盤の目状に道路で区画された街並みが造られたことが分かっています。

また、最近の調査では、奈良時代の末頃に東山官衙遺跡と壇の越・早風遺跡を含む東西1.2km、南北1.4km以上の広大な面積を築地塀や材木塀、土塁と堀によって取り囲んでいることが分かりました。

このことから、東山官衙遺跡が単なる役所ではなく、軍事的な拠点でもあったとする研究成果も出されているそうです。

今回の調査では、東山官衙遺跡の南側に造られた南郭の南西部を区画する大溝跡と、南郭の南に隣接する東西道路跡が確認されました(壇の越遺跡)。

また、東山官衙遺跡の政庁の南東約800mの地点では奈良時代末頃に造られた外郭施設の土塁跡が確認されました(早風遺跡)。

現地説明会の様子

大溝跡。直角に折れ曲がる部分を確認しました。

東西道路跡。人の立っている部分が路面で、黒く見える部分が側溝の跡。路面の幅は4mほどです。

現地説明会の様子。梅雨入り前の青空の下、地元住民の皆さんが調査員の説明に耳を傾けました。
2008.6.23更新