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石を並べた複式炉のある縄文時代の竪穴住居跡

色麻町 日の出山窯跡群 (奈良時代)
遺跡データ
遺跡名 日の出山窯跡群(ひのでやまかまあとぐん) F地点
所在地 加美郡色麻町大字堰堀
調査主体 宮城県教育委員会(宮城県多賀城跡調査研究所)
調査原因 多賀城創建期窯跡群の解明を目的とした学術調査
公開日 2008年7月5日(土) 10:30〜
参考資料 「日の出山窯跡群 第1次発掘調査 現地説明会資料」
宮城県多賀城跡調査研究所 2008.7.5


工房として使われていたと考えられる竪穴住居跡
轆轤(ロクロ)の軸棒を挿し込んだ穴の跡や、須恵器や瓦の材料とみられる粘土が残されていました。
奈良時代の初め(724年)、陸奥国府・多賀城が仙台平野の北端に創建されました。そして、そこで使われた瓦や須恵器は、多賀城から北に約30km離れた大崎平野で生産されたものだったのです。

大崎平野の南西部にある色麻町の日の出山窯跡群は、大崎市の下伊場野窯跡群・木戸窯跡群・大吉山窯跡群とともに、多賀城創建期の瓦や須恵器を生産した窯跡としてよく知られています。昭和44年に行なわれたA地点の発掘調査で7基の窯跡が発見され、国史跡に指定されました。

今回発掘調査が行なわれたのは、A地点の西約400mにあるF地点です。F地点は北から南に延びる舌状の丘陵で、丘陵の北側部分では磁気探査と試掘で十数基の窯跡と工房とみられる竪穴住居跡、そして瓦などの材料となる粘土溜りなどが確認されています。

今回はF地点の窯跡や工房跡の分布状況を確認するため、丘陵の南側部分で発掘調査が行なわれました。この結果、西側斜面で工房跡とみられる竪穴住居跡などが発見されました。

竪穴住居跡やその付近からは、多賀城創建期(8世紀前半頃)の須恵器や瓦が出土し、F地点の窯跡群がこの頃に操業していたことが明らかになりました。

竪穴住居跡のカマドは粘土で作られていましたが、骨材として丸瓦を立てて使われていました。

工房跡やその付近から出土した須恵器
8世紀前半頃に作られたものと考えられるそうです。

工房跡の付近から出土した軒平瓦
多賀城の政庁T期(創建期:724年前後)に使われたものと同じ特徴を持っています。

日の出山窯跡群A地点(国史跡)
史跡公園として保存整備されています。発掘調査で見つかった7基の瓦窯跡が植栽で表示されています。
2008.7.8更新(写真提供:安倍奈々子さん)