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石を並べた複式炉のある縄文時代の竪穴住居跡

仙台市 陸奥国分寺跡 (奈良時代)
遺跡データ
遺跡名 陸奥国分寺跡(むつこくぶんじあと)
所在地 仙台市若林区木ノ下3丁目
調査主体 仙台市教育委員会
調査原因 歴史公園整備のための学術調査
公開日 2008年7月12日(土) 10:00〜
参考資料 「史跡陸奥国分寺跡発掘調査 遺跡見学会資料」仙台市教育委員会 2008.7.12


江戸時代の初めに伊達政宗によって建てられた仁王門の地下に、奈良時代の南大門の跡が眠っています。
奈良時代、仏教の力で国を治めようとした聖武天皇は、天平13年(741年)に勅命を出して全国六十余国に国分寺を建立しました。

陸奥国分寺もその一つでした。奈良時代に創建された国分寺の建物は、平安時代には落雷や地震で荒廃します。これを藤原秀衡が修復しましたが、文治5年(1189年)には源頼朝の奥州侵攻の際に焼失しました。その後、江戸時代の初めに伊達政宗が再興し、現在の薬師堂と仁王門を建立しました。

仙台市では陸奥国分寺跡を歴史公園として整備する計画があり、その基礎資料を得るために発掘調査が行なわれています。

今回の調査では、仁王門の周囲で南大門跡の基壇を確認し、その規模が東西18m以上、南北10m以上の非常に大きなものだったことが判明しました。

また、南大門跡の周囲では門や築地塀の上に葺かれていた瓦がまとめて捨てられた場所や、築地塀を崩して整地を行なった跡も確認されました。

南大門跡の発掘調査は昭和31年にも行なわれましたが、基壇の存在は確かめられていませんでした。現在の精密な発掘調査が、新しい事実を解き明かしたのです。

南大門の基壇。仁王門の基壇(カラーコーンの内側)よりも大きく広がっていました。

基壇の外側には小柱穴が並んでいました。作業用の足場の跡で、南大門の軒先の位置を示しています。

基壇の断面。土を少しずつ積んで突き固める版築という工法で作られていました。

遺跡見学会の様子

基壇の東側で見つかった瓦の集積。門や築地が崩れた時にまとめて捨てたもののようです。

陸奥国分寺跡で出土した瓦。国府だった多賀城と同じ文様の瓦が使われていました。
2008.8.2更新