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石を並べた複式炉のある縄文時代の竪穴住居跡

仙台市 仙台城本丸跡 (江戸時代)
遺跡データ
遺跡名 仙台城本丸跡(せんだいじょうほんまるあと)
所在地 仙台市青葉区川内
調査主体 仙台市教育委員会
調査原因 本丸大広間の位置や規模などの解明を目的とした学術調査
公開日 2008年7月12日(土) 13:30〜
参考資料 「国史跡仙台城跡 第20次発掘調査 遺跡見学会資料」仙台市教育委員会 2008.7.12


遺跡見学会の様子
仙台城は、仙台藩祖伊達政宗によって慶長6年(1601年)に築城が開始されました。10年後の慶長15年(1610年)には重要な儀式などを行なう大広間が完成し、仙台城の全容が整いました。

仙台城跡では老朽化した石垣の解体修復工事に伴って平成9年〜12年に発掘調査が行なわれ、これまで知られていなかった3時期にわたる石垣の変遷が明らかになっています。

平成13年度からは仙台城跡の国史跡指定を目指した学術調査が開始され、平成15年には国史跡に指定されました。その後、仙台城跡の全容解明を目指した学術調査などが継続されています。

今回の発掘調査は、大広間跡の南半部で行なわれました。調査の結果、藩主控えの間であった「裏上段の間」や「鶴の間」、「鷹の間」などの礎石跡42か所が発見されました。

大広間跡の調査はこれまでに7回行なわれており、今回までの調査で「御本丸大広間地絵図」に描かれた14の部屋のうち13部屋の間取りや位置が判明しました(残る一部屋は現在護国神社の敷地となっています)。礎石跡の位置は絵図に描かれた柱の位置とほぼ同じで、絵図の正確さが裏付けられたそうです。

また、大広間が建てられた時に整地された地層の下で、礎石と見られる石材が新たに確認されました。これまでの調査でも同様の礎石がいくつか発見されており、大広間が建てられる以前に何らかの施設が存在した可能性を示しているようです。

芙蓉の間と鷹の間を仕切る位置で礎石跡が見つかった様子です(ピンク色のテープが張られた部分)。ほとんどの礎石は抜き取られていました。

広縁(廊下)と落縁を仕切る位置で見つかった礎石です。大広間があった当時のまま礎石が残されていました。

大広間が建っていた当時の地面が確認され、座敷部分(写真右手の白いテープが張られた部分)よりも外側の縁の部分が低くなっていたことが分かりました。

大広間の礎石跡(写真右上のピンク色のテープが張られた部分)が掘られた地面よりも下で、大広間より古い建物の存在を示す礎石が発見されました。

菊の文様が施された飾り瓦や、金銅製の飾り金具などが出土しました。大広間に使われていたものと考えられます。

遺跡見学会の様子

遺跡見学会の様子

仙台城本丸跡の様子。写真左に見えるのが伊達政宗騎馬像で、写真奥が発掘調査した場所です。

仙台城本丸跡につくられた仙台城見聞館。発掘調査で明らかになった仙台城の姿を知ることができます。
2008.8.2更新