宮城考古学情報みやぎ遺跡発掘2008>番外編−北目古墳群(山形県高畠町)

政庁創建時の石垣を発見−大規模な土木工事を裏付け

山形県高畠町 安久津古墳群〔北目古墳群〕(飛鳥〜奈良時代)

遺跡データ
遺跡名 安久津古墳群〔北目古墳群〕(あくつこふんぐん〔きためこふんぐん〕)
主な時代 飛鳥〜奈良時代(7世紀後半〜8世紀前半)
主な遺構 直径10m前後の円墳10基程度が現存
主な遺物 土師器、須恵器、鉄鏃、刀子(小刀)
所在地 山形県東置賜郡高畠町大字高畠、羽山
調査主体 東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター
調査原因 将来の史跡の保存活用に向けた全体像把握のための学術調査
公開日 2008年8月30日(土) 13:00〜
参考資料 「安久津古墳群(北目古墳群)−第1次発掘調査−現地説明会資料」
東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター

高畠町東部を流れる屋代川の北岸に面した丘陵には、飛鳥〜奈良時代の初め(7世紀後半〜8世紀前半)にかけて多数の古墳が造られました。

東西2kmほどの範囲で現在までに50基以上が発見され、安久津古墳群(北目、源福寺、加茂山、安久津、味噌根、鳥居町、山ノ神、清水前の各古墳群の総称)と呼ばれています。

築造されたのは横穴式石室を備えた直径10〜20m前後の円墳で、平地に造られたものと丘陵の斜面を削り込んで造られたものとがあります。

一帯は凝灰岩(ぎょうかいがん)地帯で、現在でも「高畠石」と呼ばれる建築用石材の採掘が行なわれています。古墳の石室も、この地域で産出する凝灰岩を用いて造られています。

安久津古墳群の西端にある北目古墳群は、羽山と呼ばれる標高320mの丘の西麓にあります。直径10m前後の円墳10基程度が現存し、かつてはさらに多くの古墳があったそうです。

今回の調査は、東北芸術工科大学が高畠町教育委員会と協力して着手したものです。2008〜2010年度の3か年計画で、北目古墳群の全体像把握を目指します。

出羽国の成立前夜の古代社会の解明を目的とした研究の一環で、2002〜2007年度には飛鳥時代(7世紀後半〜8世紀前葉)に瓦や須恵器を生産した高安窯跡の発掘調査が行なわれています。

調査には歴史遺産学科の学生らが参加して、古墳群の北部にある4号墳〜7号墳の4基の円墳の測量や石室の実測、5号墳の発掘調査などが行なわれました。

発掘調査では、石室を覆う墳丘が凝灰岩の礫を積み上げて造られていることや、墳丘の裾に大きな石を列状に並べていることが確認されました。

石室はどれも後世に天井石が持ち去られていましたが、5号墳では遺体や副葬品を納めた「玄室(げんしつ)」と、外部へ続く「羨道(せんどう)」、玄室と羨道を仕切る「玄門(げんもん)」が確認されました。

羨道の外部に広がる「前庭部(ぜんていぶ)」と呼ばれる平坦面では、杯(つき:皿)や瓦に泉と書く(はそう:急須のように液体を注ぐ容器)など多数の須恵器(すえき)が出土しました。墓前で行なわれた儀式の様子を知る手がかりとなるそうです。

北目古墳群をはじめ安久津古墳群で共通する墳丘と石室の造り方は、群馬県など北関東地方に多く、北目古墳群を築いた人々のルーツを示している可能性があるそうです。

また、石室の構造は玄室の形が長方形のものと方形のもの、使われている石材が板状の切石と不整形の自然石とがあり、北目古墳群の中でもそれぞれに個性があります。

こうした違いは、古墳が造られた時期の差や、埋葬された人の階層など性格の差が反映されている可能性があるそうです。

そして同じ頃、宮城県側でも多くの古墳が造られました。置賜地方と同様に円墳からなる古墳群もありますが、凝灰岩や砂岩の崖に掘られた横穴墓が数多く確認されています。

ところが、置賜地方では横穴墓はまったく確認されていません。同じ時期の陸奥と出羽の間に、こうした違いがどうして生じたのか、まだ分かっていません。

近年精力的に進められている置賜地方の古代社会の解明が、出羽・陸奥両地域の古代史研究にどのような展開をもたらすのでしょうか。今後の成果に期待が膨らみます。
現地説明会の様子(5号墳の前庭部)。
5号墳を斜面の下の方から見た様子。山肌を削り込んで造られています。斜面の上側には周溝(溝)が掘られ、墳丘は地中から掘り出された凝灰岩の礫を積み上げて造られています。墳丘の高さは斜面の上側で見ると1mほど、下側で見ると3mほどになります。
現地説明会の様子(5号墳の石室)。
5号墳の石室を前庭部側から見た様子。大型の自然石を使用しています。天井の石は後世に持ち去られていますが、玄門の上に渡された石のみが残っています。
5号墳の石室を玄室側から見た様子。玄門を塞ぐ板石が一部残っています。玄室は奥行2.0m、幅1.8mの長方形で、床面には玉石が敷き詰められていました。
現地説明会の様子(6号墳の石室)。
6号墳の石室を羨道側から見た様子。玄室は奥行1.5m、幅1.6〜1.4mと寸詰まりの方形です。表面にチョウナの削り跡が残る板状の切石が用いられています。
5号墳の石室では三次元レーザー計測器を用いた石室の測量が行なわれていました。 現地説明会の様子。5号墳の前庭部などで須恵器など多数の遺物が出土しました。
5号墳の前庭部で出土した須恵器の杯(つき:皿)と蓋(ふた)。須恵器は専用の窯を使って1100℃程度で焼かれたもので、ねずみ色をしています。当時の朝廷や国が関わって専業の工人に作らせていた焼き物です。 5号墳の前庭部で出土した須恵器の瓦に泉と書く(はそう)。穴の開いた部分に笹竹など管状のものを挿して、急須のように液体を注ぐ容器として使われたと考えられています。
2009.6.3更新