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四面庇付の建物跡を発見−城柵内部の重要施設か

蔵王町 十郎田遺跡 (飛鳥時代)
遺跡データ
遺跡名 十郎田遺跡(じゅうろうたいせき)
所在地 蔵王町大字小村崎字十郎田・宮前
調査主体 蔵王町教育委員会
調査原因 県営ほ場整備事業に伴う事前調査
公開日 2008年10月19日(日) 10:30〜
参考資料 「十郎田遺跡発掘調査成果見学会資料」
蔵王町教育委員会 2008.10.19


材木塀跡の南東隅と、その内側で見つかった竪穴住居跡と掘立柱建物跡。手前に見えるのが材木塀跡で、調査員が立っているところで竪穴住居跡と掘立柱建物跡が見つかりました。
十郎田遺跡は、蔵王町の円田盆地に西から伸びる細長い丘の上にあります。水田を使いやすいものに作り替える「県営ほ場整備事業」に先立って平成19・20年度に行なわれた発掘調査で、塀で囲まれた大規模な集落跡が見つかりました。

塀は材木を立て並べたもので、東西308m、南北142mの長方形の「大区画」の南東部に東西58m、南北52mの方形の「小区画」が取り付く構造でした。

区画の内部では竪穴住居跡と掘立柱建物跡が見つかりました。一緒に出土した土器の特徴から、この集落は今から約1,300年前(飛鳥時代)のものと考えられます。

今回の発掘調査では、「小区画」の南東隅で、直角に折れ曲がる材木塀跡と、その内側で竪穴住居跡と掘立柱建物跡が発見されました。

大化の改新によって中央集権国家の建設が進められた7世紀後半には、当時蝦夷と呼ばれた人々が暮らしていた東北地方にもその勢力を広げ、現在の日本の国の基礎が作られました。

このように塀で囲まれた集落は、当時の普通の集落とは異なるものです。これまでに仙台市や大崎市などで発見されていて、大和朝廷が東北地方を支配するための官衙(かんが:古代の役所)の建設などに当たった人々を住まわせたものだと考えられています。

円田盆地では、官衙と考えられる遺跡は今のところ見つかっていませんが、これまでの発掘調査で掘立柱建物跡群や、当時は寺院や官衙でしか使われていない瓦が見つかっている都遺跡などは官衙だった可能性もあります。

今回見つかった竪穴住居跡から出土した土器には、当時の関東地方の人びとと同じ技法で作られたものも混じっていました。このことから、他地域から移住してきた人びとが居住していた集落だった可能性があります。

こうした集落は県南では今回が初めての発見で、飛鳥時代の県南地方の様子を知る上でとても貴重な発見となりました。


材木塀跡の断面を観察するために半分掘り下げたところ。幅40cmほどの溝の中に、直径20cmほどの丸太を立て並べていました。丸太の多くは抜き取られたり腐ったりしていましたが、一部腐らずに残っているところもありました。

竪穴住居跡。住居の隅から外側へ排水用の溝が掘られていました。

見学会の様子。竪穴住居跡から土師器(土師器)の杯(つき:皿)や甕(かめ:鍋や保存容器)が出土しました。

出土した土器の中には、当時の関東地方の人々と同じ技法で作られたものが混じっていました。
2009.6.2更新