宮城考古学情報>みやぎ遺跡発掘>2009>村田城二の丸跡
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村田城は、現在の村田町中心部を西側から望む丘陵にあります。丘の頂上に本丸、東側の麓に二の丸が造られました。 室町時代の中頃、嘉吉年間(1441〜1443年)に伊達家の家臣だった村田氏が築いたとされ、伊達政宗の長男兵五郎がこの地で生まれたと伝えられています。 元和元年(1615年)の一国一城令で村田城は在所扱いとなり、主要な施設は二の丸に置かれたようです。明治初頭に廃城となった後に建物は破却され、移設された大手門のみが町内の願勝寺に現存しています。 明治時代以降、二の丸には役場や小学校が建設されました。江戸時代の遺構はほとんど破壊されてしまったと思われていましたが、今回の発掘調査で多数の建物跡などが残っていることが分かりました。 掘立柱建物跡の柱穴に残っていた柱材の放射性炭素年代測定(AMS法)の結果、1786年±27年に伐採された木材を利用したことが分かりました。1786年(天明6年)は江戸時代の中頃にあたります。 今回の調査で、これまで不明だった江戸時代の二の丸の様子や、明治・大正時代にかけての移り変わりがはじめて明らかになりました。今後の調査成果も楽しみです。 |
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史跡公園として整備されている本丸跡 | ||
本丸跡から村田町の中心部を望む | ||
現地説明会の様子 | ||
発見された掘立柱建物跡 | 調査中の石組遺構 | |
現地説明会の様子 | 陶磁器や木製品などの生活用品 | |
2009.8.18更新 |