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こおりやまよこあなこふんぐん | |||
白石市郡山 |
崖面に開いた蜂の巣状の穴 |
東北本線白石駅から北へ2kmほど進むと、崖面に蜂の巣のように無数の穴が開いた光景が東の車窓に飛び込んでくる。 白石盆地南東部の郡山地区の丘陵麓にある郡山横穴古墳群は、7〜8世紀(古墳時代後期〜奈良時代)に白石盆地を治めた豪族の墓と考えられている。 凝灰岩の崖面に密集して掘りこまれた横穴は、約70基が確認されている。ほとんどは江戸時代までに開口し、遺体や副葬品は失われている。かつては「蝦夷穴(えぞあな)」と呼ばれ、アイヌ人の住居あるいは墓と言われたこともあった。 郡山横穴古墳群の東側には、寺入西横穴古墳群、寺入東横穴古墳群、金倉横穴古墳群があり、周辺が当時の人々の墓域として利用されていたことを示している。 さて、これらの横穴古墳群から南へ約2kmの白石市街に張り出す鷹巣丘陵上には、30基以上の円墳や前方後円墳が築かれた。郡山横穴古墳群が造られるより前、5〜7世紀(古墳時代中期〜後期)の豪族の墓と考えられている鷹巣古墳群だ。 また、鷹巣丘陵の北側に開けた平地には、倉庫群の跡が発掘され、奈良時代の苅田郡衙(ぐんが、役所)の跡かもしれないと言われている大畑遺跡がある。 白石盆地の随所に残された遺跡たちは、時代の移り変わりとともに、支配者や人々の生活、そして死者に対する思想が変化したことを静かに伝えている。 |
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約70基が密集して見つかっている |
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江戸時代には「蝦夷穴」と呼ばれていた |
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美しいドーム型の横穴 |
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付近では近年まで凝灰岩が切り出された |
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撮影:20100124 |