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松森城跡 ひょうえだてあと
刈田郡蔵王町


兵衛館跡の遠景(南東から)
蔵王町東部の水田地帯、円田盆地の北の端からさらに900mほど登った標高228mの山の上には、中世の館跡が残されている。

兵衛館跡は別名兵糧館とも呼ばれる。地元の人々の手によって史跡公園として整備され、親しまれている。

「刈田郡誌」には「奥平氏の祖 村上修理太夫元弘の頃、北畠顕家の軍に応じて馳せ参じたる地」とあり、築城は南北朝期頃とみられている。

1993年〜2000年には、東北福祉大学が野外実習として発掘調査を行なった。

館の構造は頂上に大きな平場を持ち、東西と南側を二重の曲輪が取り巻いている。曲輪には土塁が伴っている。

下草がきれいに刈り払われているため、こうした大規模な土木工事の跡が現在まで非常に良く残されている様子をつぶさに観察することが出来る。

北側は斜面崩壊により絶壁となっている。大規模な曲輪や土塁による強固な構造に比して頂上の平場はそれほど広くなく、かつては北側にさらに平場が続いていたのかもしれない。

南東の方向に目を移すと、円田盆地の水田地帯が一望できる。

兵衛館跡から南東に延びる丘陵の先端部、円田盆地の北端には、土塁と堀によって五角形に区画された西小屋館跡がある。

周辺には館前、館脇、館東、館東脇、堀の内といった城館に関わる地名も多く残り、かつての要衝であったことを窺わせている。

西小屋館跡の堀跡は細長い水田として、土塁は地面の高まりとして、大きく改変されることなく現在まで残された。

昔ながらの地形を生かしながら営まれてきた円田盆地の美しい田園風景も、近年進められている圃場整備工事によって大きく様変わりしつつある。

円田盆地北部では圃場整備工事に伴って多くの遺跡が調査されたが、西小屋館跡については手を加えずに保存されることになっている。

兵衛館跡とともに地域の歴史を感じることの出来る場所として、永く守り伝えられていくことだろう。

兵衛館跡の入り口

頂上の平場

良好に保存された曲輪と土塁

頂上の平場から北側を望む

頂上の平場から南東に円田盆地を望む
撮影:20070924