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利府城跡 りふじょうあと
宮城郡利府町


利府城跡の遠景(南から)
現在の利府町中心部の北側、標高88mの丘陵上には、留守氏の重臣であった村岡氏の館がおかれていた。

しかし、永禄12(1569)年に起きた留守氏の後継者問題で伊達系留守氏側と対立、翌年この村岡城で戦い、村岡氏は滅亡したという。

その後、永禄13(1570)年に伊達政宗の叔父にあたる留守政景が岩切城からこの城に移り、地名を村岡から利府に改め、城名も利府城となった。

留守正景は天正18(1590)年に黒川郡大谷城に隠退するまでのまで約20年間、この城を本拠地とし、伊達政宗の右腕となって活躍したという(「利府町誌」ほか)。

利府城跡は自然地形を利用した山城である。公園整備に伴う小規模な発掘調査によって、平場を造成するための整地と多数の掘立柱建物跡が確認されている。出土した遺物は利府町郷土資料館(生涯学習センター内)に展示されている。

現在は館山公園として整備され、近隣住民の憩いの場となっている。

利府城跡からは、多賀城をはじめ中世の留守氏の支配地を眼下に見おろすことができる。

現在、南西に向かって眼下を見下ろすと、手前には発展著しい利府街道沿いの街並み、中ほどに仙台北部道路、JR東北新幹線の高架と同仙台総合車両所、さらに奥には仙台の市街地が広がる。

公園として整備された利府城跡

利府城跡から南西を望む
撮影:20020924,20021116