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松森城跡 すごうたてあと
柴田郡村田町


県道沿いに立てられた看板
県道仙台村田線沿いに、「菅生館跡のうそんこうえん」と書かれた真新しい看板が立てられている。

菅生館跡は、仙台市太白区坪沼地区と境を接する村田町菅生地区の標高206mの丘の上に造られた山城跡である。

江戸時代に書かれた「柴田郡菅生村風土記御用書出」によれば、城主は菅生助八郎と伝えられている。菅生氏は下野国を治めた小山氏の後裔で、室町時代にこの地に移り住んだと言う。

自然の地形を巧みに利用しながらいくつもの平場を造成した連郭式の山城で、主郭や腰郭といった平場と、それらを分かつ堀切や土塁といった複雑な人工地形が良く残っている。

以前は館跡へ登る道もなく、容易に立ち入ることができなかったというが、公園整備によって館跡までの舗装道路が整えられた。県道を西に折れて500mほど登ると、「菅生館跡のうそんこうえん」に到着する。

土塁や堀切を横断しながら副郭(二の丸)、主郭(本丸)に至る散策路と、その北側を回る散策路が整備されている。自分の足で歩いて堀切の深さや土塁の高さを体感したり、横から眺めることができる。

下草はきれいに刈り払われ、桜の若木が植えられていた。樹木が繁茂しているので主郭からの眺望は良好でないが、木々の間からは坪沼川の流れる菅生地区の田園風景を望むことができた。

菅生館跡への入り口(左側が館跡の丘陵)

公園として整備された菅生館跡

堀切と土塁の複雑な地形が良く残る

主郭と副郭を分かつ幅22mの大きな堀切

主郭からは眼下に菅生地区の田園風景が望める
撮影:20080607