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考古学トピックス2000


「平泉の文化遺産」を世界遺産候補暫定リストに追加
2000年11月17日 文化財保護審議会

 11月17日に開かれた文化財保護審議会で、世界遺産候補である暫定リストに、平安時代末期に奥州藤原三代が築いた中尊寺など「平泉の文化遺産」(岩手県平泉町)を追加することを内定した。あわせて「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山・奈良・三重県)、「石見銀山遺跡」(島根県)も追加する。文化庁は今後、ユネスコ世界遺産センター(パリ)に暫定リストを提出し、環境整備が進めば5-10年以内には世界遺産に推薦される見通し。
 東北では白神山地(青森・秋田県)が自然遺産として世界遺産に登録されているが、文化遺産で暫定リストに入ったのは「平泉」が初めて。
 平泉で世界遺産の対象となるのは、国宝の中尊寺金色堂や、国の特別史跡の毛越寺庭園など奥州藤原三代が築いた文化遺産。平泉を追加した理由について審議会では「仏教寺院・浄土庭園など華麗な黄金文化の遺産群であり、古代から中世への過度期の地方文化の傑出した事例」としている。平泉町では今後環境整備を進め、世界遺産への早期登録を目指す方針。
 紀伊山地の霊場と参詣道は、自然崇拝に根ざした神道と中国伝来の仏教が結びついた修験道など神仏の霊場である高野、熊野、吉野・大峯と、これらを結ぶ紀伊路、伊勢路などの参詣道がきわめて良好に残っていることが評価された。
 石見銀山は、尼子、毛利氏ら戦国大名が三十年余り争奪戦を繰り広げ、最盛期には世界の約三分の一もあった産銀量のうちのかなりの部分を占めた。世界経済に大きな影響を与えるなど、戦国時代から約400年にわたる銀山の全容が良好に残る産業遺跡として評価された。
 文化庁はこれまで11件を暫定リストに記載している。うち法隆寺(奈良県)や原爆ドーム(広島県)など8件が既に世界遺産に登録され、1件が推薦されているという。


三内丸山遺跡を特別史跡に指定
2000年11月17日 文化財保護審議会答申

 11月17日に開かれた文化財保護審議会では、青森県三内丸山遺跡、奈良県キトラ古墳、長崎県原の辻遺跡の3件を特別史跡に、青森県高屋敷遺跡、秋田県伊勢堂岱遺跡、長野県星糞峠黒曜石原産地遺跡、奈良県黒塚古墳、鳥取県御堂廃寺跡など12件を史跡に指定するよう大島理森文相に答申した。
 奈良県明日香村のキトラ古墳では、古墳内部の壁と天井に描かれた白虎などの四神図と天文図が描かれているのが確認されている。長崎県芦辺町・石田町の原の辻遺跡は、土器や青銅器など大量の大陸系文物が発掘された弥生時代を代表する環濠集落跡。
 青森県青森市の三内丸山遺跡は、縄紋時代前期(約5500年前)から中期(約4000年前)にかけて営まれた大規模な集落跡。平成4年に始まった野球場建設に伴う発掘調査で、大型掘立柱建物とみられる柱穴と巨大木柱が発見され、平成6年に野球場の建設中止、遺跡の全面保存が決まった。平成9年には国の史跡に指定されている。
 集落を構成する各遺構が計画的に配置されていたことが分かるなど、これまで断片的にしか見えていなかった縄紋時代集落の全体像を明らかにし、従来の縄紋観を大きく覆した。出土遺物も膨大な土器、石器のほか土偶や木製品、漆器、動植物依存体など多種多様。琥珀や黒曜石、翡翠などといった他地域との交易を示す遺物も出土し、縄紋文化の実態を解明する上で極めて貴重な遺跡。
 国の特別史跡指定は、東北では6件目。縄紋遺跡としては全国で3例目で、秋田県鹿角市の大湯環状列石以来44年ぶりの指定となる。
 一方で、「大きい・多い・長い」と言う言葉に象徴させる三内丸山遺跡の学術的評価の妥当性については、特別史跡指定の是非を含めて青森遺跡探訪で問題提起がなされている。学術的評価に対する国としての姿勢や埋蔵文化財行政のあり方を問い直していくことが今後は必要になってきそうである。


弘前市種市熊谷の旧奈良家を移築復元
柴田郡川崎町 国営みちのく杜の湖畔公園

東奥日報 2000年7月11日

 7月11日付東奥日報によれば、江戸時代末期に建てられた弘前市種市熊谷の旧奈良家が、宮城県柴田郡川崎町の国営みちのく杜の湖畔公園内に津軽の家として移築復元された。東北六県の特色ある民家を紹介するため、建設省が同公園内に整備を進めているふるさと村に設置された。
 旧奈良家は、江戸時代に建てられた中堅農家で、木造一部二階建て約290u。居間奥の寝室が二分割されていることや、馬を母屋の中で飼育していたこと、建物が直屋(すごや)と呼ばれる形状で、屋根に葦(よし)がやを使用しているなど津軽の農家の特色を持つ。昭和59年、弘前市が当時の世帯主・奈良哲夫さん(平成三年死去)から寄贈を受け、59年5月に解体、保管していた。
 弘前市は平成9年、ふるさと村に移築する青森県の民家遺構を探していた建設省に譲渡した。組み立て作業は昨年5月から公園内のふるさと村で開始、今年3月に復元を終えた。解体復元作業は弘前市内の業者が担当。業者は虫食いなどで使えなくなった木の代わりにヒバを使うなどして、津軽の特色を出した。
 津軽の家はまつりをテーマに、一階部分を一般公開する。「まや」には、奉納木馬などの絵馬を設置、盛岡市のチャグチャグ馬っこなど馬の祭りを紹介する。板土間の「いなべ」では、なまはげ、かまくらなど子どもの祭りを紹介。「ねどこ」では、ねぶたとねぷた、えんぶり、山形県の黒川舞を三面スクリーンで紹介、遊びながら学べる仕組みとなっている。
 国営みちのく杜の湖畔公園は仙台市中心部の南西約20kmに位置し、「ふるさと村」は8月オープン予定。入園料は大人400円、6歳以上15歳未満の子どもが80円。9月30日から10月9日まで、完成を記念した祭りを開く。

川崎町の国営みちのく杜の湖畔公園のふるさと村に移築復元された旧奈良家


企画展「縄文人の出産と子育て」

2000年8月5日〜10月9日 奥松島縄文村歴史資料館

 縄紋人の母子像に迫る企画展「縄文人の出産と子育て」が、8月5日から桃生郡鳴瀬町の奥松島縄文村歴史資料館で開かれている。母親が乳児を抱いて横座りするポーズの土偶など、子供への豊かな愛情を感じさせる資料など23点を展示している。
 縄紋時代の子供の誕生や成長、死にまつわる資料が一度に集まるのは全国的にも珍しい。企画展は胎児や乳幼児の死亡率が高く、生活様式も現代とはまったく違っていた縄紋時代でも、濃密な母子関係があったことを知ってもらうのが狙い。
 遺跡に隣接する国史跡・里浜貝塚の発掘調査では、平成10年に土器棺墓が見つかった。死産した胎児が赤色顔料に覆われ、深鉢形の土器の中に大事に納められていた。土器を母親の胎内に見立て、胎児の再生を願ったと考えられている。陸前高田市の中沢浜貝塚出土の土器棺墓とともに展示の目玉の一つになっている。
 長野県伊那市月見松遺跡で出土した顔面把手付深鉢は、産道から赤ちゃんが生まれる瞬間を表現したとみられる。こうした土器は出産や豊饒を願う儀礼で使用されたとみられるという。このほか、東京都八王子市宮田遺跡出土の「子を抱く土偶」や子孫繁栄や安産を願ったとみられる妊婦土偶などが展示されている。
 8月27日には、鳴瀬町中央公民館でパネルディスカッション「縄文と現代の母子像―出産と子育て―」も行われる。文化庁記念物課の岡村道雄主任文化財調査官や、「古代史教室」など独自の活動を展開している俳優の刈谷俊介氏のほか、鳴瀬町元保健婦の川畑やす子氏など多彩なパネリストが縄紋時代と現代の母子像について考える。
 奥松島縄文村歴史資料館は平成4年にオープン。里浜貝塚から出土した土器や骨角器、装身具など約500点をそろえ、縄紋人の浜辺の暮らしを紹介している。コンパクトな展示スペースで内容の濃い展示を展開しており、家族連れにも人気が高い。館内のシアターでは里浜での縄紋人の暮らしぶりを再現した映画が上映されているので、これを鑑賞した上で企画展を見学するのもいいだろう。


三内丸山遺跡で「ミニ説明会」始まる
2000年6月19日

 青森市の縄紋集落跡、三内丸山遺跡(約5500〜4000年前)の発掘調査を進めている青森県教育委員会は、観光客らに発掘状況を公開しようと、6月19日から「ミニ説明会」を始めた。前年度に続き二度目の開催。
 説明会は10月19日までの毎週月曜と木曜、それぞれ2回ずつ開く。ただし月末と雨天時、8月12〜16日は休み。一回20分程度で、発掘調査担当者が現場を案内しながら遺物の出土状況や遺構の説明などを行う。
 三内丸山遺跡の今年度の発掘調査(第17〜19次)は、前年度までに環状列石(ストーンサークル)や土壙墓が多く出土している西の墓地、盛土がある集落西側など約3000uで行う予定。調査は5月から始まっている。
 説明会の問い合わせは、青森県教育委員会三内丸山遺跡対策室松原分室017-774-0455まで。 


「縄文の森広場(仮称)整備基本計画策定委員会」が初会合
―仙台市山田上ノ台遺跡の活用方法など検討へ―

2000年6月2日 仙台市教育委員会

 仙台市太白区の山田上ノ台遺跡を体験学習施設として整備するため、仙台市教育委員会が設置した「縄文の森広場(仮称)整備基本計画策定委員会」の初会合が6月2日、仙台市役所内で開かれた。
 委員は大学や市内小中学校の教員、文化財研究機関の代表ら8人。小松弥生仙台市教育長が「子どもたちが体験的に、古い時代に思いをはせる施設にしたい」と挨拶したあと、早坂春一仙台市歴史民俗資料館長を委員長に選び、教育委員会から遺跡の概要や計画策定の趣旨について説明を受けた。
 計画策定委員会では施設を「原始生活の体験で、自然との共生を楽しみながら考える場」と位置付け、整備の基本的な方針として「遺跡の保存・活用」、「縄文時代集落の復元展示」、「体験学習の場としての活用」をあげた。今後計画策定委員会で整備内容や活用方法を検討し、本年度内に報告書をまとめて教育委員会に提出する。教育委員会ではこれを受けて平成13年度に実施設計を行い、14年度に工事着手、16年度には施設をオープンさせたい考え。

「縄文の森広場(仮称)」として整備される山田上ノ台遺跡


東北から2件を史跡指定答申―米沢市古志田東遺跡・郡山市大安場古墳群―

2000年5月19日 
文化財保護審議会答申

 5月19日の文化財保護審議会で、東北からは、山形県米沢市の古志田東遺跡、福島県郡山市の大安場古墳群の2件の史跡指定について答申があった。
◆山形県米沢市古志田東遺跡―有力豪族が組織的に労働力を集約―
 米沢市林泉寺の扇状地の扇央部から末端部に位置し、広さ約8,200u。9世紀中頃から10世紀初頭の有力豪族の屋敷跡が見つかっている。屋敷は平安時代のものとしては東北最大規模の広さ約330uの掘立柱建物だったとみられる。稲作に労働力を集約していた有力豪族の存在を示す木簡30点や、3,000点の土器などが出土している。
 木簡には稲作に動員した労働者の人数や性別、年齢などが記載されている。9世紀後半は、律令制が衰退し、地方豪族が台頭した時期で、当該地方で空白期とされてきたこの時期に有力者層が本遺跡を拠点に、労働者を組織的に動員していたことを示している。
◆福島県郡山市大安場古墳群―東北最大規模の前方後円墳―
 4世紀後半(古墳時代前期)に築造されたとみられ、全長83mで東北最大規模の前方後円墳。主体部(埋葬施設)は奥行き10m、幅2mの長方形で、古墳の後方部頂部にある。中には、内部を赤い天然の水銀朱で彩った木棺が安置されていた。
 出土した腕輪形石製品、鉄太刀、鉄製鎌などから、埋葬されていたのは、この地方の武力と生産を掌握していた有力者とみられる。近畿地方を中心に発見され、宝物とされている腕輪形石製品は、東北では宮城県名取市の十三塚遺跡と2例しか発見例がない。
 墳丘の規模、副葬品の内容が豊富で、東北地方への古墳文化の波及を考える上でも重要な意味を持っている。


仙台市山田上ノ台遺跡で「縄文の森広場(仮称)」整備へ
―期待の考古系総合博物館建設構想見送る―

2000年5月2日 仙台市教育委員会

 国内で初めて3万年前以前の旧石器文化の存在を層位的に実証した宮城県仙台市太白区の山田上ノ台遺跡について進められていた整備構想を仙台市教育委員会は5月2日までに再検討し、年度内に新たな計画を策定して整備に着手することを決めた。同遺跡は市内最大規模の縄紋時代中期(約4000年前)の集落跡も見つかっており、一部の住居跡などを再現。講座の開催や出土品展示が行える小規模なガイダンス施設を併設した縄紋文化の体験学習施設として平成16年度にオープンさせる方針。
 名取川の河岸段丘上にある同遺跡は昭和55年、宅地開発に伴って発掘調査が行われ、約5万〜6万年前の石器が多数出土した。日本における3万年前以前の旧石器文化の存否をめぐるいわゆる前期旧石器文化存否存論争に終止符を打つ宮城県内での一連の発見のさきがけとなった(現在は3万年前以前の旧石器文化を二時期に区分し、約13万年前以降を中期旧石器時代、それ以前を前期旧石器時代とする時代区分が主流)。
 仙台市は昭和58年から、遺跡の保存、活用を図るため、周辺の土地の25,000uの取得を進め、平成4年には、遺跡を公園として整備し隣接地に考古系総合博物館などを建設する計画をまとめた(原始古代村構想)。しかし、その後の財政難もあって計画の抜本的見直しに迫られ、今回の再検討で博物館などの建設は見送った。
 保存決定から実に20年を経て、遺跡の整備計画がようやく実現に向けて動き出したことに大きな喜びを感じると同時に、同市太白区の富沢遺跡(約2万年前の針葉樹林と生活跡が出土)の整備事業(旧石器の森構想)が基本構想で唄われた「世界的スケール」から大幅に縮小された経緯と同様、今回も当初計画を大幅に縮小した形での実現となる見込みで、遺跡の重要性を考えてもまことに残念と言わざるを得ない。20年という歳月からは開発に伴う事前調査に追われる仙台市の実情を垣間見る思いがする。今後、より広い視点に立った総合的な遺跡整備と本格的な考古学博物館の建設が待たれるところである。
 
発掘調査当時の山田上ノ台遺跡と発見された縄紋時代の竪穴住居跡


第32回文化財展「99年発掘この一年」

2000年5月15日〜5月20日 仙台市教育委員会

 仙台市教育委員会の平成11年度の発掘調査を振り返る第32回文化財展「99年発掘この一年」が、仙台市青葉区の東北電力グリーンプラザで開かれた。
 仙台市教委が11年度に調査した市内17遺跡の概要や調査風景を紹介する写真パネル約70枚と、出土した遺物約100点を展示。仙台城跡から出土した楔状敷金や八木山緑町遺跡の墓跡から出土した管玉などが公開された。発掘調査の様子を記録したビデオの上映も行われ、多くの市民らが訪れた。


特別展記念講演会「縄文時代のクニグニ」

2000年5月7日 東北歴史博物館


 多賀城市の東北歴史博物館で開かれている特別展「縄文時代の日本列島―自然との共生―」の記念講演会「縄文時代のクニグニ」が7日、博物館で開かれ、一般市民ら約250人が詰め掛けた。
 講師を務めた文化庁記念物課の岡村道雄主任文化財調査官は「北東北の縄文文化の中心だった三内丸山遺跡(青森市)などを見ると、拠点集落の周りの小さな集落がなくなっている。周辺を統合する力を持ったリーダーが現れ、社会の構造化が進んだのではないか」と指摘した。


特別展「縄文時代の日本列島―自然との共生―」

2000年4月29日〜6月4日 東北歴史博物館・河北新報社


 全国各地の遺跡から発掘された縄紋時代の土器や土偶などを集めた特別展「縄文時代の日本列島―自然との共生―」(東北歴史博物館・河北新報社主催)が4月29日、多賀城市の東北歴史博物館で開幕した。
 青森市の三内丸山遺跡の出土品や、全国18か所の博物館などから集めた縄紋土器約800点を展示。縄紋時代を扱った展示としては東北では過去にない規模のものだ。土偶や複雑な装飾が施された火炎土器などが、13,000〜2,400年前に花開いた縄紋文化を伝えている。展示品には、国の重要文化財186点が含まれている。


企画展「土の中からのメッセージ―泉区七北田川流域の縄文時代―」

2000年4月21日〜7月2日 富沢遺跡保存館

 仙台市太白区の地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)で、仙台市泉区内の縄紋遺跡で見つかった土器などを集めた企画展「土の中からのメッセージ―泉区七北川流域の縄文時代―」が開かれている。
 高柳、沼、赤生津(あこうづ)の3遺跡で出土した縄紋時代の遺物約110点を展示。製作する際の編布(あんぎん)の圧痕が底に付いた土器や、渦巻きの紋様のある深鉢などが見学者の目を引き付けている。