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12/1[宮城]加美町壇の越遺跡現地説明会
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 鈴木雅  - 07/11/25(日) 22:29 -

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   「加美町 壇の越遺跡発掘調査現地説明会」

◆日時:平成19年12月1日(土) 午前10時から
◆会場:壇の越遺跡発掘調査現場(加美郡加美町鳥嶋地内→Yahoo地図)
◆説明者:宮城県教育委員会文化財保護課職員
◆調査成果:
 当課では、「壇の越遺跡」で昨年発見した材木塀と大溝で囲まれた区画の確認調査を10月29日より進めております。その結果、以下のことがわかりました。
1) 材木塀の西辺を検出し、区画の規模が南辺201m、東辺145m、西辺228mであったことがわかりました。この広い区画は東山遺跡の南正面に位置し、西辺はその外郭南西隅、東辺は外郭南東隅へ向けて延びていることから東山遺跡の一部と考えられます。
2) 区画西側の調査区で、南1東西道路跡を確認できなかったことから、南2道路より北側は南北大路以外の道路がつくられなかったと考えられます。
◆調査の意義:
 東山遺跡は、奈良時代前半(730年代)から平安時代前半(900年頃)の陸奥国賀美郡家(郡役所)であるとともに、兵士が駐屯した軍事施設であったと可能性が高まっています。その南(壇の越遺跡)には、道路によって碁盤目状に区画された街がありました。今回の調査から、壇の越は南2道路を境として南側に街がひろがるのに対し、北側は公的な空間として利用されたという見通しが得られ、都市構造の解明にむけて重要な発見となりました。
 壇の越遺跡の古代都市は、東山遺跡の創建と同じ奈良時代前半(730年代)に全体が一斉につくられました。この頃の大崎地方は、平城京を都とする律令国家にとって太平洋側における最北端の地でした。こうした辺境の地に、都のミニ版ともいえる支配貫徹のための施設(東山)と最先端の都市設計に基づく整然とした街(壇の越)が一体的につくられました。今回の成果は城柵(じょうさく)・官衙(かんが)の研究、古代都市の研究だけでなく、律令国家による辺境支配の実態を考える上でも貴重です。
◆調査主体:宮城県教育委員会
◆問い合わせ先:
 宮城県教育委員会文化財保護課
 埋蔵文化財第二班 電話 022-211-3685

http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/gen-setu2007/gen-setujouhou2007.htm

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