|
|
| |
町家跡から木製給水管が出土−高畠・大在家遺跡
県埋蔵文化財センターが主要地方道米沢高畠線街路整備事業に伴い、高畠町高畠で発掘調査を進めている大在家(だいざいけ)遺跡の横町通りから、江戸時代後期のものとみられる上水道の給水管「木樋(もくひ)」が出土し、7日、引き上げ作業が行われた。
大在家遺跡は、高畑城(鐘ケ城)跡の西側約200メートルに位置。横町通りは江戸時代からの道路で、当時は商人町だったと伝えられている。県埋蔵文化財センターによると、県内では米沢城で木樋が見つかっているが、町家からの出土は初めてとみられ、江戸時代の町民の暮らしぶりを知る上で貴重な資料だという。
出土した木樋は長さ約8メートルで、マツ材とみられる丸太(直径約20センチ、長さ約2メートル)を縦に切断し、内部に9センチ四方の正方形の水路を設けてふたをした構造。南端は溜桶(ためおけ、直径約1.1メートル)に接続し、南から北方向に水が流れていたとみられ、木樋は北側の未発掘場所につながっている。
1689(元禄2)年作製の高畑城絵図では、木樋が出土した地点に水路と橋が記されており、7日の調査では木樋の下から橋脚跡とみられる直径約80センチの穴が見つかった。また1810年代に発生したとされる大火事の地層も確認されており、木樋がその地層の下から出てきたため、木樋は江戸時代後期のものと推測されるという。
県埋蔵文化財センターは10月9日午後2時から大在家遺跡の現地説明会を開く。木樋と溜桶を展示するほか、奈良−平安期の河川跡、江戸時代の横町通りの道路構造などを説明する。昨年の調査では室町から戦国時代にかけて高畑城を居城としていた伊達氏の家紋入り漆器椀(わん)が出土しており、その漆器も復元して展示する。
20050809山形新聞
写真=大在家遺跡で見つかった江戸時代後期の上水道給水管「木樋」と「溜桶」=高畠町高畠
|
|
250 hits
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@135.167.12.61.ap.gmo-access.jp>
|