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縄紋時代後期の内陸部の食生活解明の手がかり 柴田郡村田町赤沼貝塚 ―村田町教育委員会(報道発表7月12日)― |
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平成6年度からの発掘調査で、縄紋時代後期(約3900年前)の土器片のほか、海水産の貝、動物の骨などが出土した。 本遺跡は村田町足立の小さな沢の西側斜面に位置し、南北約30m、東西5m、厚さ20〜60cmの比較的小規模な貝層が形成されている。県内の貝塚のほとんどは標高が30m以下だが、本遺跡の標高は約100mと県内で最も高位に位置する。 貝類は淡水産のほか、河口付近で採れるヤマトシジミ、海水産のハマグリが見つかった。貝塚から海岸線までの距離は直線で約20km。動物ではイノシシとニホンジカの骨が出土。ニホンジカの頭蓋骨には穴があけられていたほか、その他の骨片も割られていたことから、脳髄や骨髄も食べていたことが分かる。出土した縄紋土器はすべて10cmに満たない小破片である。 出土した遺物は8月31日まで村田町歴史みらい館に展示されている。 |
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赤沼貝塚で出土した貝類 |
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参考資料 2000.07.13付河北新報 |