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5世紀後半の円墳から県内2例目の人物埴輪
―仙台市内2例目の方墳では主体部の残存を確認―


仙台市太白区原遺跡
―仙台市教育委員会(報道発表9月13日、27日/一般説明会9月15日)―

 今回新たに見つかった円墳の周溝から、人物埴輪が出土した。県内での出土は丸森町の台町古墳群103号墳の例(壷を捧げる女性)があるのみで、東北でも数例しかない。
 人物埴輪は破片の状態で見つかり、復元すると高さ約45cmで、頭部と体の前面を欠いている。背中にはクロスして掛けた襷を表現した突帯の痕跡があり、両手を伸ばして手のひらを外に開いたようなポーズをとっている。
 埴輪が出土したのは直径約13mの円墳と推定され、調査されたのは全体の約3分の1で、残りは調査区外にのびている。墳丘は既に削平されており、周溝のみが検出された。
 人物埴輪は、腕のつくりや一緒に出土した円筒埴輪の製作技法などから5世紀後半頃のものとみられ、人物埴輪としては東日本で最も古い時期に属するという。付近からは馬の脚とみられる動物埴輪の一部も見つかった。
 また、遺跡のある丘陵の最も高い位置では約15m×14mの墳丘を持つ方墳が発見された。周囲には幅2〜3m、深さ50cm程の周溝がめぐっている。また、50mほど離れた場所で墳丘部を削平されているものの方形の周溝が確認されており、これも方墳であった可能性があるという。
 方墳は仙台周辺では宮城野区沼向遺跡の2基や名取市宇賀崎1号墳などがあり、いずれも4世紀(古墳時代前期)のものとされている。今回発見された墳丘が残る方墳は、周溝から出土した土師器の特徴などから、5世紀中頃以前と考えられるという。原遺跡でこれまでに発見された古墳の中では最も古いもので、はじめに見晴らしのよい場所に古墳が造られたことがわかるという。
 墳丘が残る方墳の中央部では埋葬施設の跡が見つかった。埋葬施設は長さ5.4m、幅0.8mで、断面がU字形の「割り竹形」の木棺とみられる。木棺は腐食して残存していないが、棺全体を覆っていた「粘土郭」が残っていた。
 棺全体を粘土で覆う埋葬法は、仙台市内では遠見塚古墳(若林区、全長110mの前方後円墳)に次いで2例目。棺の両端に小石が詰められ、棺の内部は3つに仕切られていた。中心にある長さ2.7mの部分に被葬者が安置されたとみられる。棺は北東側を枕にしていたと推測されるという。
 棺中央の底面に白い粘土が残り、足にあたる部分の底面は赤くなっている。赤い部分は木質の残存なのか、朱やベンガラなどの塗料なのかは今後の分析が必要としている。副葬品は出土しておらず、土師器の小片1点が出土したのみという。
 原遺跡は公共用地造成や店舗建設などに伴って平成8年度から調査が行われている。今回までの調査で円墳11基、方墳2基、弥生時代から奈良時代にかけての竪穴住居跡12軒などが見つかった。
円墳(13号墳)の周溝から出土した人物埴輪。高さ約45cm。5世紀後半のものとみられる。
頭部と体の前面を欠いている。両手を前に伸ばすポーズをとっていて、背中にはクロスして掛けた襷を表現した突帯の痕跡がある。一般的な円筒埴輪より表面の刷毛目が細かく、丁寧に作られたことが窺える。

左:第3次調査で出土し、復元された朝顔形埴輪(左)と円筒埴輪(右)。
中:人物埴輪と一緒に13号墳から出土した円筒埴輪の破片。
右:人物埴輪と一緒に13号墳から出土した動物埴輪の破片。馬の脚の部分とみられる。


左:遺跡のある丘陵の最も見晴らしのよい場所で発見された方墳(12号墳)。原遺跡で見つかっている13基の古墳の中で一番最初に造られた。右は現地説明会風景。約200名が見学に訪れた。

参考文献
仙台市教育委員会2000
「仙台市原遺跡第4次発掘調査現地説明会資料」

参考資料
2000.9.28日付河北新報