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5500-5000年前の伊豆沼周辺の拠点的縄紋集落跡
―大型竪穴住居と掘立柱建物など―


栗原郡築館町 嘉倉貝塚
宮城県教育委員会(報道発表10月5日/一般説明会10月7日)

>>>嘉倉貝塚スライドショー
 昨年からの調査で、縄紋時代前期後半から中期前半(約5500年前-5000年前)にかけての竪穴住居跡80軒、掘立柱建物跡30軒、貯蔵穴100基以上と多数の柱穴を発見した。竪穴住居跡は同じ場所で建て替えられ、貯蔵穴も集中する場所があるなど、集落内である程度場所の使われ方が決まっていたことが窺われる。
 竪穴住居跡は通常の3-5m四方のもののほか、長さ10mを超える大型のものが10軒以上見つかった。大型竪穴住居は県内では七ヶ宿町の小梁川遺跡、大倉遺跡に次いで3例目で、今回見つかったもののうち1軒は幅3.5m、長さ18mの長楕円形をしており、県内最大規模だった。
 掘立柱建物跡にも床を張った高床式だったと考えられる大規模なものが10軒以上あった。この時期の大規模な掘立柱建物跡がまとまって発見されたのは南東北では初めてという。
 通常の竪穴住居と大型竪穴住居のほか、高床を含むとみられる掘立柱建物が併存する集落形態は県内では初めての発見。大型竪穴住居を含む集落跡は東北一円で30遺跡60例ほどが見つかっているが、高床建物を含む集落としては青森県三内丸山遺跡など数例しかないという。大型住居跡も平面形が長方形を呈するものと長楕円形のものがあるなど全国的にも珍しく、東北地方の縄紋集落を考える上で貴重な資料として注目される。
 遺物は縄紋土器や石器のほか、状(けつじょう)耳飾りや石剣、石棒といった石製品が出土した。また、板状土偶やイチジク形土製品、石皿を象ったとみられる珍しい小型土製品も出土した。遺物の総量はコンテナで160箱分という。
 イチジク形土製品は伊豆沼周辺で8点しか発見されていない特殊な遺物で、用途は良く分かっていない。今回はじめて発掘調査で出土した。
 このほか、奈良時代後半から平安時代前半にかけての住居跡が見つかった。北西約3kmの地点には、奈良時代に律令政府が蝦夷支配の拠点として造営した伊治城が位置しており、この集落との関連性が予想される。

縄紋土器。煮炊きや食料の貯蔵に使った深鉢形のものが多い。右下の金魚鉢に似た形のものは比較的珍しい。

伊豆沼周辺にしか発見例のないイチジク形土製品は発掘調査でははじめて出土した。左上が石皿を象ったとみられる土製品。

幅3.5m、長さ18mと県内で最大規模の竪穴住居跡(南から)。同じ場所で建て替えが行われているのが分かる。
現地説明会風景。

調査区全景(東から)。無数の柱穴や貯蔵穴などが広がる。

参考・引用文献
宮城県教育委員会2000 「嘉倉貝塚現地説明会資料」
宮城県教育委員会1999 「嘉倉貝塚現地説明会資料」
築館町教育委員会1999 「伊治城跡現地説明会資料」
青森県教育委員会1993 「三内丸山(2)遺跡3」 青森県埋蔵文化財調査報告書第166集
戸沢光則(編)1994 「縄文時代研究辞典」