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多賀城創建以前、8世紀官衙の倉庫院

古川市小林 南小林遺跡
―古川市教育委員会(報道発表11月30日/一般説明会12月2日)―

 江合川旧河道の自然堤防上で、おおむね3時期の遺構が確認された。1期は7世紀後半から8世紀初頭と考えられ、掘立柱建物5棟と竪穴住居31棟、丸太を建て並べた材木塀などが発見された。関東系土器が多く出土したことや竪穴住居の特徴から、関東地方からの移民に関連する集落と考えられる。2期はこれらを人為的に埋め立てた上に8世紀前半とみられる掘立柱建物5棟がほぼ等間隔に並んでいた。8世紀前半から9世紀には竪穴住居13軒と畑地の集落となり、比較的高級品の灰釉陶器が出土することから官衙に関連した人々の集落とみられる。
 2期の建物群は一棟の面積が45-90uと規模が大きく、柱が建物内部にも立つ総柱式と呼ばれる構造。さらに計画的に配置されている状況から、当時の官衙(役所)の倉庫院の一部と考えられるという。伴出した瓦の特徴などから、神亀元年(724年)の多賀城創建以前の官衙であった可能性が高いという。また建物跡の柱穴には焼土が大量に認められることから、これらの建物群が火災によって廃絶している可能性が高く、続日本紀に記載される養老4年(720年)の按察使(あぜちし)を殺害した蝦夷の反乱や、神亀元年(724年)の海道の蝦夷が反乱した記事との関連が推測されるという。 

参考引用文献
古川市教育委員会2000「古川市南小林遺跡」平成12年度宮城県遺跡調査成果発表会 発表要旨
2000年12月1日付河北新報