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伊治公砦麻呂の乱以後に多賀城跡の瓦を生産

宮城郡利府町 大貝窯跡
―利府町教育委員会(報道発表12月6日/一般説明会12月9日)―

 古代の須恵器・瓦窯跡、炭窯跡を10基確認した。須恵器・瓦窯跡は斜面に沿う半地下式登り窯と呼ばれるもので、炭窯は床面がほぼ平らな地下式の窯跡だった。窯跡内部や付近の出土遺物の特徴から、9世紀前半から10世紀初頭とみられる。遺跡西側の斜面では粘土採掘坑跡とみられる遺構が確認され、北側の尾根の南斜面では竪穴住居跡3棟が並んで見つかった。住居跡の床面には焼土が広がり、鉄滓や砥石などとともに9世紀頃の土器が出土した。
 大貝窯跡の南西約7kmの地点には古代陸奥国府多賀城が位置しており、瓦窯跡からは多賀城3期(780-869年)に使われた瓦も出土した。多賀城第3期は伊治公砦麻呂(これはりのきみのあざまろ)の乱による焼失以後の時期にあたり、近距離に位置する大貝窯跡で多賀城復興に使用する瓦などを生産していたとみられる。

参考引用文献
利府町教育委員会2000「大貝窯跡」平成12年度宮城県遺跡調査成果発表会 発表要旨
2000年12月7日付河北新報