宮城考古学情報みやぎ遺跡発掘2000>平成12年度に仙台市教育委員会が行なう発掘調査遺跡開設

平成12年度に仙台市教育委員会が行う
発掘調査遺跡解説


今年度仙台市教育委員会が実施する発掘調査は、下記の通り。


「文化財せんだいNo.67」(仙台市教育委員会文化財課、平成12年6月発行)による。


調査遺跡・期間 主な時代 遺跡の概要と過去の発掘調査成果
仙台城本丸跡
4月〜8月
中世
江戸時代
 仙台城本丸の石垣解体修復工事に伴う本丸北東部の石垣の発掘調査が平成9年度から行われている。この結果、17世紀後半以降に築かれた現在解体中の石垣の下に二時期の石垣の存在が明らかになった。仙台城は何度も地震に見舞われたという記録が残っているが、3度にわたる城壁修復の繰り返しという形で裏付けられた。度重なる災害と修復で、仙台城の石垣がどんどん変わっていく姿が見て取れる。
伊古田遺跡 縄紋時代
古墳時代
平安時代
 昭和58,59,61年の地下鉄富沢駅建設工事に伴う発掘調査では、縄紋時代後期中葉の宝ヶ峯式期の縄紋土器や石器とともに19体分の土偶の破片が出土した。ほかに、古墳時代から平安時代の集落跡が発見されている。
大野田遺跡
6月〜12月
(第2次)
縄紋時代
弥生時代
古墳時代
古代
 平成5,6年の都市計画道路建設に伴う発掘調査では、縄紋時代後期後半の環状集石群が発見され、周囲から土器や石器のほかに土偶、異形石器、石刀、硬玉製の垂飾品などが出土した。土偶は270点以上が出土し、ほとんどがハート型土偶と呼ばれるものである。
大野田古墳群
5月〜12月
古墳時代  東西800m、南北450mの範囲に広がる古墳群で、中小規模の古墳が密集して分布する群集墳。これまでに、中小規模の円墳13基と、墳丘をほとんど持たない石棺と木棺が各1基の、計15基が発見されている。ほとんどの古墳が墳丘を削平され、地表下に周濠のみが埋没して残存しており、今後の調査でさらにその数は増加するものと推測される。古墳時代中期後半から後期にかけて(5世紀後半〜6世紀)、次々と築造されていったものと考えられている。
下ノ内遺跡 縄紋時代  昭和56〜59年の地下鉄建設工事に伴う発掘調査では、縄紋時代中期中葉の大木10式期の竪穴住居跡のほか、中期末葉から後期前葉の石囲炉、埋設土器遺構、土坑跡などが発見されている。
 住居跡は3軒あり、中央付近に土器埋設部と石組部から構成される複式炉を持っており、このうち2軒は川原石を敷き詰めた敷石住居と呼ばれるものである。
原遺跡
6月〜9月
(第4次)
弥生時代
古墳時代
 平成8.9年の宅地開発事業に伴う発掘調査で、5世紀末〜6世紀初めの円墳11基が発見され、三角形の透かし孔を持つ円筒埴輪と朝顔形埴輪などが出土した。また、弥生時代後期の住居跡2軒も発見された。
西台畑遺跡
4月〜12月
弥生時代
古代
 昭和32年、煉瓦用粘土の採掘中に完形に近い弥生土器15点が出土。その後、人骨片を伴う土壙墓も発見され、弥生時代中期の墓域であることが確認された。また、平成10年度からの長町副都心区画整理事業に伴う発掘調査では、隣接する郡山遺跡と同時期の7世紀中頃〜8世紀初めの竪穴住居跡30軒などが発見されている。
郡山遺跡
5月〜12月
奈良時代  7世紀後半に地方統治の拠点として建設された官衙(役所)跡。7世紀末には428m四方を材木列と大溝で取り囲んだ官衙として一層の充実が図られるとともに、近接して寺院も建設された。昭和54年以来、仙台市教育委員会によって100次を超える継続的な調査が実施され、広大な面積に計画的に施設が配置されていたことが明らかになっている。
南小泉遺跡
4月〜12月
(第28次)
弥生時代
古墳時代
中世
 広瀬川によって形成された幅広い自然堤防上に立地し、約13haと広大な面積をもつ遺跡。昭和14〜16年の霞ノ目飛行場拡張工事によって弥生時代中期の枡形囲式期の遺物が多量に発見された。古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)には大規模な集落が形成れており、鉄滓の出土により遺跡内で鉄器の生産が行われていた可能性もある。中世には「国分寺郷」と呼ばれる中世村落の中心部となり、12世紀後半頃〜16世紀の居館、屋敷跡、水路跡等が発見されている。
養種園遺跡 古墳時代
中世
近世
 古墳時代の集落跡、および中世〜近世の屋敷跡。近世の大規模な池跡、屋敷堀跡などが検出されており、これらの遺構は文政9年(1826)に描かれた「国分小泉御屋敷御絵図」の内容と一致するものが多いという。遺跡は4代藩主伊達綱村が元禄5年(1692)に造営させたという「別荘」に該当するものと考えられている。 
中在家南遺跡
6月〜9月
弥生時代
古墳時代
 仙台市荒井土地区画整理事業に伴う昭和63年、平成1,4,5年の発掘調査で、弥生時代中期頃から中世にかけて埋没した幅20m、深さ2.5mの大きな河川跡を発見した。河川跡からは弥生時代中期中葉の枡形囲式土器期から古墳時代中期にかけての大量の木製品と自然遺物が出土した。弥生時代から古墳時代にかけての農耕や生活を解明する上できわめて貴重な遺跡である。
押口遺跡 弥生時代
古墳時代
 仙台市荒井土地区画整理事業に伴う平成2年の発掘調査で、幅20m、深さ2.8mの大きな河川跡から主に弥生時代中期から古墳時代にかけての遺物が発見された。西方に位置する中在家南遺跡で発見された河川跡と同一河川と考えられ、少なくとも押口遺跡と中在家南遺跡を結ぶ約800mの区間は、どの地区でも木製品などの遺物が包含されている可能性が極めて高く、当該期の木製農工具の組成や変遷のほか、生活全般を解明する上で極めて貴重な遺跡である。
洞ノ口遺跡
4月〜12月
(第3・4次)
中世  仙台市岩切東土地区画整理事業に伴って平成4年から続けられている発掘調査で、留守氏の居城跡とみられる堀を巡らせた東西220m、南北200mの城館跡や屋敷跡などが見つかっている。付近には市や町があったと推定されている。
中野高柳遺跡
7月〜
鎌倉時代
江戸時代
 仙台港背後地土地区画整理事業に伴い、平成7年から続けられている発掘調査で、鎌倉時代から江戸時代にかけての屋敷跡や建物群が発見されている。また、16世紀後半頃に子どもを埋葬したとみられる土壙墓が発見され、天目茶碗や刀子などが一緒に出土した。
沼向遺跡
4月〜12月
古墳時代  仙台港背後地土地区画整理事業に伴って平成4年から続けられている発掘調査で、海岸部に近い浜堤上から古墳時代前期の方墳、円墳、方形周溝墓がまとまって発見された。また、墓域・居住域・生産域の各遺構が発見され、古墳時代前期の生活空間が明らかになりつつある。
参考・引用文献
仙台市史編纂委員会1995 「考古資料」『仙台市史』特別編2
仙台市教育委員会1992 「仙台の遺跡」『仙台市文化財パンフレット』第28集
仙台市教育委員会 関連各遺跡発掘調査現地説明会資料