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仙台城跡関連情報

仙台城跡をめぐる主な動き‐1999年以前‐

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| 1960-1999 | 2000 | 2001 | 2002 |
1960年代 仙台城北壁石垣に「はらみ」「ずれ」が目立ち始め、石材の破損もみられるようになる。そばを通る市道の交通量増加による地盤への影響が要因の一つとされる。防災上、解体修復工事の必要性が生じる。
1988年 仙台市文化財保護審議会が、仙台城跡の国史跡指定を目指すよう市に対して答申。
1991年 仙台市は仙台城復元事業で、大手門の再建が市街地と団地を結ぶ市道の通行に支障を及ぼすことから、大手門再建を凍結、再建の対象を艮櫓などほかの建物に切り替える方針を示す。
1995年
09月
仙台市が「仙台城石垣修復事業」、「艮櫓復元事業」策定。
1996年
05月
仙台商工会議所が「仙台城復元委員会」設置。
1997年
03月
仙台市が「仙台城艮櫓復元整備基本計画」策定。
07月 仙台市が「青葉山公園整備計画」都市計画事業認可。事業年度は1997年〜2006年。関連事業として「艮櫓復元事業」。
「本丸北壁石垣の修復・復元とあわせ、歴史的建造物の艮櫓や懸造の一部を積極的に復元し、歴史的環境の魅力を高める広場として整備」
08月 仙台市が「仙台城跡石垣修復等調査検討委員会」設置。
仙台市教育委員会が本丸跡石垣の解体修復工事に伴う発掘調査に着手。
1998年
09月
仙台商工会議所が「仙台城復元基本計画」策定。
「仙台藩祖伊達政宗公が上下を見下ろす青葉山に創築した仙台城は、仙台のシンボルであり心のよりどころであった。その仙台城を既存の絵図や文献による時代考証や発掘調査等を踏まえて、史実に基づいた本格木造による復元を行い、歴史的価値及び観光的魅力の高い施設として整備する」
10月28日 仙台市が本丸跡石垣の解体修復工事に本格着手。
1999年
03月
仙台商工会議所が「仙台城復元基本計画(概要版)」策定。
03月 仙台市、仙台城艮櫓復元事業パンフレット発行。
「完成後は、仙台の開府から今日に至る歴史の象徴として位置付けられるだけでなく、市民の皆様や観光客の方々に、仙台の歴史と文化に親しんでいただける施設となり、さらに、新幹線をはじめ市内各所から遠望できるその姿は、仙台市の新しいシンボルにふさわしい存在になるものと思われます。事業の推進にあたっては、市民の皆様のご協力が不可欠であり、仙台市としても仙台城艮櫓の復元整備を市民の皆様とともに進めてまいります」
05月27日 仙台市教育委員会が、3期石垣の内側から築城期(1期)石垣の十数年後に造られた2期石垣を発見したと発表。
09月20日 仙台城跡北側の石垣近くで土産物や飲食物を販売する「本丸茶屋」(明治42年創業)に対し、仙台市は3年ごとに認めてきた公園施設としての許可を平成11年春は更新せずと河北新報が報道。本丸跡石垣の修復工事で「重機搬入に支障が出る」などの理由で平成9年中から立ち退き交渉を進めるが、合意がないまま「契約切れ」を迎える。市は「歴史的な雰囲気の復元を目指す公園に、売店の存在は似つかわしくない。修復工事が終了しても売店の設置は考えていない」と説明。工法を一部変更して工事を続けるとともに、7月に再提出された申請も不許可とし、今後訴訟での立ち退き請求を検討。経営者側は「一方的な決定は納得できない」として無許可営業を続ける。
11月18日 仙台市教育委員会が、本丸跡の北東部で新たに長さ10m、高さ2mの1期石垣を発見したと発表。
12月18日 仙台市教育委員会が石垣修復工事に伴う発掘調査で、詰門(つめのもん)跡付近の現存(3期)石垣内側から伊達政宗が造った築城期(1期)石垣を発見したと発表。
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