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袖原3遺跡第6次発掘調査
2001/7/9/15:00報道発表資料

調査の経過



6月11日(月) 遺跡の草刈。発掘式(搬入式)。
午後より南側切り通し精査。
グリッド設定準備。
12日(火) 南側切り通し精査。
第3次〜5次調査区の清掃。
13日(水) 南側切り通し精査。
第3次〜5次調査区の清掃および壁面の精査。
深掘区の東側壁崩落面よりこぶし大の礫出土(第7文化層より上面の層:30層)。
グリッド設定。
14日(木) 雨天のため調査中止。
15日(金) 雨天のため調査中止。
18日(月) 第3次〜5次調査区の清掃および壁面の精査。
深掘区の東側壁崩落面より岩片出土(30層:第7文化層より上面)。
午後より、1・2区に入り表土剥ぎ。
午後7時過ぎ菊地強一氏来跡し、礫や岩片の状態を見ていただいたところ、いたって自然な状態で入っており良いとのこと。
19日(火) 雨天のため調査中止。
20日(水) 1・2区に入り表土剥ぎ。
午後より菊地強一氏来跡し土層の見方についてご指導いただく。
第3次〜5次調査区の平板測量。
午後4時より礫と岩片が出土したことについて記者発表。
21日(木) 2区の表土を剥いだ段階での土層平面図作成(7層〜14層の広がりを確認)。
第3次〜5次調査区の面精査。
午後より2区の上面(7層)より順に剥ぐ。
深掘区の壁面精査し新に2点の岩片出土。
佐川委員来跡。
22日(金) 梶原氏来跡、深掘区の層序についてご指導いただく。
2区は10層〜11層の広がり確認(第1文化層)。調査を進めるが遺物出土せず。
山田氏来跡。
深掘区を精査し、頁岩の岩片(32層上面)と石材の分からない岩片(33層)確認。
25日(月) 雨天のため調査中止。水抜きだけ実施。
26日(火) 2区の12層の広がり確認。調査を進めるが遺物出土せず。
第3次〜5次調査区の西側を拡張し3区とする。
3区で15層、16層上面(第2文化層)まで掘り進めるが、遺物出土せず。
岡村氏来跡。
27日(水) 3区を引き続き掘り進め、16・17層完掘。18層上面(第3文化層)まで達する。
2区で12層の調査を進めるが遺物出土せず。
1992(平成4)年6月14日に袖原3遺跡が発見されるきっかけとなった露頭の面を精査し、石器の出土地点を確認。
28日(木) 2区に土層観察のため北壁・西壁に沿ってサブトレンチを入れる。
3区を精査するが遺物出土せず。
29日(金) 袖原3遺跡発掘調査検討委員会現地見学。調査の概要を説明。
深掘区出土の礫類を検討していただき、人工のものではないことで一致す。
1区を9層〜10層まで掘り下げる。
2区を12層上面まで掘り下げるが、遺物出土せず。
30日(土) 日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」総括委員会現地見学。
昨日同様、深掘区出土の礫類を検討していただき、人工のものではないことで一致す。
7月2日(月) 1区の土層断面図作成。
深掘区の土層線引き。深掘区の礫類を取り上げる。
3日(火) 2区を13層上面まで掘り下げるが遺物出土せず。
深掘区の土層線引き及び土層断面図作成。
午後より2区を14層上面まで掘り下げるが遺物出土せず。
4日(水) 雨天のため調査中止。終日水抜き作業。
5日(木) 深掘区の土層断面図作成。
1区の掘り下げ。
12層の広がり及び石器の断面採集地点の発掘区を設定するため、重機で第1次・2次調査区の埋め土を除去し、発掘面を出す。
発掘面を精査したところ、午後12時03分頃、頁岩製の剥片(石器C)が出土
7区を7層(成層)上面まで重機で除去する。
6日(金) 深掘区の土層断面図作成。
昨日に引き続き重機で1次・2次調査区の埋め土を除去し、発掘面を精査したところ、午前10時50分頃剥片(石器B)出土
午後3時45分頃箆状石器と推定されるもの(石器A)が出土
5区12層を精査するが遺物出土せず。
6区9〜12層を精査するが遺物出土せず。
鎌田・梶原両氏来跡。
7日(土) 第1次・2次調査区を精査するが遺物出土せず。
5区12層を精査するが遺物出土せず。
6区9〜12層を精査するが遺物出土せず。
7区9層を掘り進める。
佐川委員、菊地・柳田・山田各氏来跡。3点の石器の出土状況について観察する。

調査区設定図・層序模式柱状図 調査の経過 石器の確認状況