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利府町大貝窯跡第3次発掘調査
現地説明会:2001.10.06  調査主体:利府町教育委員会
 
多賀城跡の北東約7kmに位置する利府町北東部の丘陵地帯には、多賀城第III・IV期の瓦を供給した春日大沢・硯沢窯跡などの古代の窯跡群があり、春日窯跡群として知られている。付近には現在でも「瓦焼場」、「瓦畠」といった地名が残り、中世には松島の円福寺(瑞巌寺)の瓦を生産していた可能性も指摘されている。
大貝窯跡は分布調査によって奈良・平安時代の須恵器・瓦窯跡と時期不明の製鉄関連遺構の存在が確認されていた。今回に先立つ第1次発掘調査では9世紀前半から10世紀初頭の須恵器・瓦窯跡、炭窯跡など確認し、第2次発掘調査では14世紀以降に操業されたと考えられる製鉄炉などが発見されている。

窯跡の出土状況。中央に並ぶ3基が古代の瓦窯跡で、向かって右側に3基、左側に1基の炭窯跡が出土している。炭窯は煙出部に転用された板碑から、13世紀以降のものと考えられる。窯跡の上に広がる平場の奥の傾斜地に縦穴建物が建てられていた。

古代の縦穴建物跡。出土遺物から8世紀頃と考えられる。窯跡上部の平場を避け、奥の傾斜地に切り込むようにして建てられている。
古代の瓦窯跡の内部の様子。半地下式登り窯の底面に丸瓦と平瓦の組み合わせによって焼台が作られている。8〜9世紀に位置付けられる。

5基並んだ状態で出土した古代の瓦窯跡。天井部分が崩落しているが、半地下式の登り窯である。焼台に使われた瓦以外の出土遺物はほとんどない。底面の作り替えが行なわれていないこと、周囲に排水溝や上屋などの施設が作られていないことから、比較的短期間の操業であったと推測される。

第3次発掘調査区の遺構配置図。ピンク色で塗られた長楕円形の部分が須恵器・瓦窯跡で、黄色く塗られたのが炭窯跡。水色で塗られた隅丸方形の部分が縦穴建物跡である。

古代の瓦窯跡から出土した軒丸瓦などの瓦類と縦穴建物跡から出土した土師器・須恵器。8〜9世紀の多賀城第III期に属する。

須恵器窯跡付近で出土した灯明皿とみられる土師器杯と、古代の縦穴建物跡から出土した須恵器類。

まとめ
  • 古代の須恵器・瓦窯跡13基が確認され、出土した軒丸瓦や隣接する縦穴建物跡で出土した土師器・須恵器などから、8〜9世紀の多賀城第III期に属すると考えられる。
  • 窯跡群に隣接して縦穴建物跡6軒が確認され、須恵器・瓦製作に従事した工人の作業場と考えられる。鉄滓や砥石、焼面を伴う縦穴建物跡もあり、製鉄との関連も考えられる。
  • 古代の炭窯跡1基が確認され、製鉄との関連が推測される縦穴建物跡との関連が考えられる。
  • 中世の製鉄炉跡に伴うと考えられる炭窯跡6基が確認された。
  • 大貝窯跡は多賀城政庁に供給する須恵器・瓦の一大生産地であり、中世以降まで大規模な生産が行なわれたことが明らかとなった。
(参考文献:利府町教育委員会2001「大貝窯跡‐第3次発掘調査現地説明会資料‐」)